1: 主において
「主において」という言葉は、「主の中で」とか、「主に包まれて」と訳していくことができます。人間の生きる道は「主に包まれている」のです。私たちは、主イエスの愛のうちに生かされているのです。1節には「主によって、しっかりと立ちなさい。」と言われます。そして2節には「主において同じ思いを抱きなさい。」と、そして4節において「主において常に喜びなさい」と言われるのです。7節では少し形は違いますが、同じことを意味して「あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」
「しっかり立ちなさい」「同じ思いを抱きなさい。」「常に喜びなさい。」「神の平和が守る。」という、これらの勧めや励まし、希望はすべて「主に包まれて」いるのです。
2: 同じ思いを抱きなさい
2節に「エボディアに勧め、またシンティケに勧めます。同じ思いを抱きなさい」とあるように、そこには二人の人間の対立があったこと、そしてそこから考えられる教会の中での問題があったことを示しています。パウロは、この二人の婦人に対して、イエス・キリストによる和解の道を示しているのです。それは「主において同じ思いを抱きなさい。」という道、「主イエス・キリストに包まれている者」という思いに立ち返りなさいということです。
私たちは主イエス・キリストという土台のもとに、主の愛を求めて「同じ方向」を向くのでしょう。
3: 協力者
今日の箇所の3節には「真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。」と記されています。ここではこの後に「クレメンスや他の協力者たち」と名前も挙げられます。教会では、多くの協力者が隣にいるのです。わたしたちは、苦しい時、心が重たくなったときに、人間関係がうまくいかなくなったときに、そんな時に、まず教会に来て隣を見ましょう。そこには、多くの協力者がいるのです。祈ってくれている兄弟姉妹がいるのです。
4: 常に喜びなさい
神様は祈ることの大切さを教えています。「感謝をこめて祈り、願いをささげなさい。」「そして求めているものを神様に打ち明けなさい。」。私たちは祈りのうちに神様の愛を知るのです。イエス・キリストは神様に祈る道を作ってくださいました。わたしたちはどのような時でも祈ることが許されているのです。主イエス・キリストは、私たちが共に生きるために、今も祈っています。私たちも、この主イエス・キリストの愛を受け取り、その愛に包まれた者として、常に喜んで共に祈り、共に支え合い、歩んでいきたいと思います。
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