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2015.2.25 「イサクのゲラル滞在」 創世記26:1-14

1. 飢饉

 イサクの時代に、アブラハムの時代にあった飢饉とは別の飢饉が起こりました。聖書ではアブラハムもイサクも飢饉に苦しむ者としてあらわされます。神を信じて生きる者、祝福された者アブラハム、そしてその子イサクは、この世の苦難を受けることがなくなるというのではなく、むしろ人生において苦しむ者として記されているのです。

 飢饉の時、イサクは父アブラハムと同様にエジプトに向かおうと思ったでしょう。もともと昔からエジプトは肥沃で恵まれた国として描かれているところです。このあとヨセフの時代にもエジプトにヤコブ一家は行きました。アブラハムが飢饉にあったときに、アブラハムはエジプトへ行ったのです。イサクもエジプトに行こうと考えたでしょう。しかしそのようなイサクに神様は「エジプトへ下って行ってはならない」と教えられます。


2. 神様に従う道

 神様は「エジプトへ下って行ってはならない」と教えられます。それはアブラハムが選んだ道とは違う道でした。イサクはどのように思ったでしょうか。アブラハムと同じ道を歩もうとしたイサクが神様のみ言葉によって違う道を示されたのです。神様は「アブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの戒めや命令、掟や教えを守ったからである。」(5)と教えられます。イサクはアブラハムが神様の声に聞き従ったのだから、あなたはここに滞在しなさいと教えられるのです。

 アブラハムは神様に従った、神様の声に聞き従った。だからこそイサクも神様の命じる道を進みなさいと、今回はこの土地に滞在すること、この土地に寄留するものとして生きる道を示されたのです。イサクはエジプトに行こうと思いました。それは父アブラハムが行った道です。イサクは自分自身の考え、自分の思いで父アブラハムと同じ道を進もうとしていたのです。アブラハムはエジプトに行きました。しかしこの道だけが神様の命じる道だということではなかった。今、イサクはエジプトに行くのではなく、ここに滞在することを命じられたのです。

 この箇所からはみんなが同じことをはじめ、同じように生きることが神様の道ではないと教えられます。何か決まった儀式や行いによるのではなく、神様に従うのは、神様のみ言葉に従うことだと教えられるのです。神様の御心。今も生きて私たちと共におられる神様の御心を聞く、聞き続けるのです。わたしたちはその神様の御心に耳を傾けることが、神様の道として生きることになるのでしょう。神様のみ言葉、聖書から神様の御心がどこにあるのか、何を示してくださっているのか、いつも神様のみ言葉に耳を傾けていたいと思います。


3. 同じ過ちを犯すイサク

イサクは、神様のみ言葉に聞きしたがいゲラルに滞在します。しかし、ここでイサクは父アブラハムと同じ過ちを犯すのです。「妻」リベカを「妹」と答えたのでした。リベカの故に自分が殺されるのではないかという不安からでした。

アブラハムは同じ過ち、「妻」を「妹」とすることを2回犯しています。そしてここでは子どもイサクも同じ罪を犯しました。ここには変わらない人間の姿が表されているのです。どれほど努力をしても、良い出来事に出会っても、それは信仰者となっても、根本的人間としての姿は変わらないことがここに示されているのです。わたしたち人間は弱く、基本的には罪ある者であるということです。

このときに、イサクに襲いかかっていた危機は、飢饉ではなく、この人間的弱さから神様のみ言葉を忘れていくということ、神様がどのような場面にあっても共にいて命を守ってくださるということを忘れてしまうということだったでしょう。イサクはアブラハムと同じ人間としての弱さをもっていました。そして同じ過ちを犯したのです。


4. アビメレク

この罪の中にあってイサクは神様から離れるという最大の罪の危機の前に立たされていました。そのような中で、神様はアビメレクを通して、その危機を回避させるのです。

アビメレクはアブラハムの時に同じ誘惑の中で、神様の偉大さ、恐ろしさの前に神様の道に従いました。今回もアビメレクは、イサクの嘘を知ったときに、イサクに「何ということをしたのだ」と怒り、神様の前に生きる者として民に命令を出したのです。一つの国の王、アビメレクが神様の道を知った者として、神様に従い、民に命令を出したのです。

この行為はイサクが神様から離れ、罪の中で生きる道を踏み外していくことから、神様の道にもう一度振り返ることを教える行為でありました。神様は生きて私たちを導きます。わたしたち人間は弱さの中にあって罪を犯す者、道を踏み外す者です。しかし、神様はそのようなわたしたちと、なお共に生きて導かれるのです。そしてその道を神様はいろいろな方法を用いてくださるのです。今回は異邦人アビメレクを通して神様は従う道を教えられたのです。


5. 祝福された者

弱さや罪の中で、主は私たちと共に生きてくださいます。私たちは人間として弱さを持ちます。私たちはその中でどのように生きるか、問われているのだと思います。自分の弱さから、主に耳を傾けるのをやめていくのか。それともいつも共にいてくださる神様に耳を傾け、何度失敗しても、何度でも立ち返っていくのか。神様は私たちと共に生きて導かれています。神様のみ言葉に耳を傾けること。それが信仰です。わたしたちは、この主なる神様のみ言葉に耳を傾けていきたいと思います。

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コメント: 1
  • #1

    イサ子 (金曜日, 10 12月 2021 16:07)

    とてもわかりやすいです。ありがとうございました。