1: 先立つ方
「イエスはそこを立ち去って、ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた。」(10:1)イエス様はガリラヤ地方を去り、ヨルダン川の東を経由して、南のユダヤ地方へと向かわれました。その先はエルサレムです。ユダヤの信仰の中心エルサレムへとイエス様は向かわれたのです。そしてこの後、主は十字架で殺されること、三日後に復活することを教えられました。イエス様は、そのエルサレムに自らが先頭に立って向かわれたのです。
弟子たちも、エルサレムには危険があること、ユダヤの中心部であるエルサレムに向かうことは、イエス様が危険なところに行くということぐらいはわかっていたでしょう。そこに先頭に立ってイエス様は向かわれたのです。イエス様は危険なエルサレムに向かわれた。弟子たちは、そのイエス様を見て驚き、恐れたのでしょう。
2: 呼び寄せる方
イエス様はそのように驚き、恐れる弟子たちを呼び寄せるのです。イエス様は、自分の命について大切なこと、十字架と復活を話すために恐れおののく12人を再び呼び寄せたのです。ここに、神様の主権的導き、そして神様の一方的な恵みの選びを教えられます。主は一方的な恵みとして、12人の弟子たちを選び呼び寄せられたのです。イエス・キリストは、弟子たち12人を呼び寄せられました。そして今、すべての人間に、そしてそれは私たち一人ひとりを呼び寄せているのです。
神様は私たちが生きる生活の一つ一つに先立ち導いて下さっています。しかし、そんな中にあっても私たちは、神様の意図、神様の意志がわからない、理解できないような出来事があるのではないでしょうか。
3: 十字架と復活
私たちは、困難や、災害、また健康を害したときなど、素直に、神様の意志と受け取ることができるでしょうか。主なるイエス様は教えます。「人の子は、三日の後に復活する」(34)と。復活という希望。それは主イエス・キリストが、私たち以上に苦しみを受けられて、十字架の上で死なれた中で勝ち取られた復活でありました。
私たちは、自分が苦しみの中にあるときに、このイエス・キリストの十字架を思い起こしたいのです。そして十字架の主が死を打ち砕かれ復活されたことを思い起こしたいと思うのです。私たちは、十字架で死なれたイエス・キリストの上に生かされているのです。だからどのような状況にあっても、私たちは生きるのです。主イエス・キリストが死をもってまで与えてくださっている命を。そしてそれは、主が復活という希望を与えて下さっている命として、喜んで受け取る命なのです。
コメントをお書きください