1: 叫び続けた者
バルティマイは叫び続けたのです。そしてこの叫びがイエス様を立ち止めたのです。イエス様は立ち止まられたのです。エルサレムに向かおうとするイエス様、十字架に向かおうとしているイエス様に叫びが届いたのです。ここにはわたしたちが神様に祈るための姿が表されているのでしょう。バルティマイは心の呻きを叫びました。イエス様はそのバルティマイの言葉を聞いて、立ち止まられたのです。そしてイエス様はその叫びを聞いて、「何をしてほしいのか」と語りかけてくださるのです。
2: 生きる希望を叫ぶ
「何をしてほしいのか」と尋ねられたバルティマイは「先生、目が見えるようになりたいのです」と答えたのです。
「目が見えるようになりたい」。これはバルティマイの本当の心の呻きであったでしょう。バルティマイは自分の心を隠すことなく、呻き、叫び、そして本当の苦しみをイエス様に向けて叫んだのです。それは「一緒に生きる人」「自分の心を理解してくれる人」を求めた叫び、生きる希望を求めた祈りであったのです。バルティマイは、生きる希望を求めて叫んだのです。
3: イエス様に出会う
となりに生きる人がいる。一緒に力を合わせて生きる人がいること、その恵みを教えられた時に、バルティマイは踊りあがり、すべてを主に委ねたのです。命を養う方は隣にいてくださるイエス様だと信じたのです。イエス様は、「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われました。イエス様は、盲人の目を開いて下さいました。バルティマイは目が開かれました。本当の生きる希望を見たのです。
4: 従う道
バルティマイはイエス・キリストに出会いました。その生きる道は、主イエス・キリストの十字架に従う道でした。イエス・キリストは、その命を捨ててまで神様と人間の出会う道を作られたのです。私たちの隣には、いつも主イエス・キリストがいてくださいます。主は十字架によって私たちの目を開いてくださいました。主はいつも私たちと共にいて、私たちに生きる勇気、生きる希望を与えて下さっているのです。私たちは、この希望につながって生きていきましょう。
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