前回の箇所23節においてイサクはベエル・シェバに向かいました。ベエル・シェバはアブラハムがゲラルの王アビメレクと契約を結んだ井戸です。アブラハムはアビメレクと友好的に過ごすことをここで誓い、契約を結んだのです。ベエル・シェバの井戸は、アブラハムとアビメレクが平和に過ごす事、そしてお互いの存在を認める象徴としての井戸でもありました。しかし、イサクの時代になり、アビメレクの部下ペリシテ人はアブラハムが掘った井戸をことごとくふさぎ土で埋めてしまいました。それはアビメレクとアブラハム、そしてその子イサクとの関係の破たんを意味するでしょう。
アブラハムの子イサクは、その大切な契約の場所、契約の井戸の場所に向かいました。すでにレホボト(広い場所)の井戸を手に入れたイサクです。レホボト、それは神様との関係から生きる力をいただいた場所です。イサクは生きる場所、生きる空間、休息の地を手に入れました。イサクはそこからベエル・シェバに向かいました。そしてイサクは神様のみ言葉を受けたのです。「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす、わが僕アブラハムのゆえに。」(24)イサクはこの神様のみ言葉を受けて、主に礼拝し、そして主のみ言葉を受けて、そこで再び井戸を掘ったのです。
2. レホボトからベエル・シェバへ
イサクはすでにレホボト(広い場所)を与えられていました。つまりゲラルのペリシテ人と争うところとは違う場所、生きていく場所を受けたのです。イサクにとってそれは命の恵みの土地でしょう。神様との関係においてイサクは何も問題のない状態でした。レホボトの井戸を受けて生きる場所、生きる力を受けたのです。二度とペリシテ人と向き合うことなく生きていくことができたでしょう。しかし、イサクはベエル・シェバに向かいました。それは誓いの場所、契約の場所です。このイサクの行動、そして神様のみ言葉から、わたしたちは平和の道、共に生きることの意味を学ぶことができるでしょう。
わたしたちも、自分が幸せで、喜びに満たされていれば、何も問題なく、そのまま過ごしたいと思うでしょう。特にイサクはそれまで争い、敵意のうちに囲まれて生きていました。そんな人とたちとは二度と会いたくない。もう戻ること、もう一度会って和解をすることなんて考えられないのが普通の考えでしょう。
そんなイサクに神様は「恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる」(24)と語られるのです。ベエル・シェバは契約の場所、誓いの井戸です。イサクはそこに向かいました。すでに与えられている喜びと恵みの地に留まるのではなく、もう一歩進みだす道を進んだのでした。レホボトからベエル・シェバへ。それは、自分が満たされていること、恵みのうちに生きることから、もう一度、他者との関係に目を向ける道だと思います。神様は「恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる」(24)と押し出されているのです。他者との関係に生きること、共に生きる事へ出かけていくのです。神様はそのために力を与えてくださるのです。
3. 主があなたと共にいる
アブラハムが以前に同じように誓い、契約をした場所、ベエル・シェバでイサクはアビメレクと契約を結びます。27節でイサクは「あなたたちは、わたしを憎んで追い出したのに、なぜここに来たのですか。」と問いかけます。その答えにアビメレクは「主があなたと共におられることがよく分かったからです。そこで考えたのですが、我々はお互いに、つまり、我々とあなたとの間で誓約を交わし、あなたと契約を結びたいのです。以前、我々はあなたに何ら危害を加えず、むしろあなたのためになるよう計り、あなたを無事に送り出しました。そのようにあなたも、我々にいかなる害も与えないでください。あなたは確かに、主に祝福された方です。」(28)と答えました。
アビメレクは「主があなたと共におられる」ことを再確認したと語ります。アビメレクはイサクの強さや何かではなくただイサクが「主と共におられる」こと、そのことを土台として生きるイサクとの契約に向かいました。
アビメレクの姿は、「主と共にいること」の大切さを教えます。人間が持つ何よりも「主が共にいること」に打ち勝つことはできないこと、また「主が共にいなければ」人間は何をもっていてもそこには何の力もないことを教えています。
4. ベエル・シェバで掘り当てた井戸
イサクはそこで井戸を掘っていました。そしてアビメレクとの契約をすることと同時に、井戸を掘りあてたのです。「その日に、井戸を掘っていたイサクの僕たちが帰って来て、「水が出ました」と報告した。そこで、イサクはその井戸をシブア(誓い)と名付けた。そこで、その町の名は、今日に至るまで、ベエル・シェバ(誓いの井戸)といわれている。」(32-33)
このアビメレクとの契約はこの井戸、ベエル・シェバの井戸によって象徴されるのです。「水を掘り当てること」は、命の基としての恵みを与えられたこと、命としての泉を掘り当てたことでもあります。イサクはこのアビメレクとの契約に、本当の意味での命、神様が共にいること、その上で共に生きるところに命があることを「井戸を掘り当てた」ことで教えられました。命の恵み、水を与えられたのです。アビメレクとの契約は、「主が共にいること」を教える出来事です。神様は、この時に水を与えることによって、本当の命の方、命を支配し、導く方として、イサクに「共に生きている」ことを示されたのです。
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