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2015.3.29 「とことん共におられる神」 マルコによる福音書15:33-41

 今日から受難週に入ります。イエス様は、よみがえらされ、命の主として勝利されたにもかかわらず、なぜ、教会は主イエスの過去にこだわり、十字架の苦しみを語り続けるのでしょうか。それはこの過去のこの出来事が現在の私たちに決定的に影響しているからです。

 1.昼の12時になると、全地は暗くなり

 正午は太陽が大空で一番高く輝く時です。主イエス様の場合は、35,6歳で、神の国の福音を宣べ伝え、宗教的、政治的、文化的中心地エルサレルに上ってきた、まさに、その人生の絶頂期であったのです。しかし、その時に、十字架に釘付けにされ、闇が彼を覆い、そして全地を覆ったのでした。私たちもまた、そのような思わぬ暗闇に覆われる経験をすることもあるのです

 2.大声で叫ぶ

 三時に十字架上でイエスは大声で叫ばれた。十字架の最も確実な出来事は主イエスが絶叫して死んでいかれたことです。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と叫ばれたと語られています。主は生前、神を「アバ、父よ」と呼ばれ、とても親しく・近く神を経験しておりました。その神が今や遠い神に感じられたのです。この叫びこそ実は、人間がもっとも深い所で、そのどん底で叫ぶ叫びではないでしょうか。

 3.エリヤは助けに来ない

 エリヤは、モーセと並ぶ旧約聖書の預言者の代表です。男性の弟子たちは逃げ去り、絶望、孤独、孤立そのものです。しかし、神はエリヤを遣わして奇跡的な救いを行いませんでした。神は沈黙されています。沈黙には、3つの意味があります。相互の意思伝達が悪く、思いが伝わらないこと。第二は、意思は通じているが、こちらの呼びかけを拒否していること。最後は、意思は通じてはいるが、「沈黙すること」が唯一の「答え」である場合です。神ご自身がイエスの十字架において私たちの孤独、絶望、苦悩に連帯すること、とことん付き合うこと、それが目的であるとすれば、沈黙することは、苦しいけれども神の唯一の答えなのではないでしょうか。

 4. ローマの百人隊長の告白

 護衛としてかたわらにいた異邦人ローマの百人隊長が「この人間こそ神の子であった」と言ったというのです。弟子たちではなく、異邦人が不完全ではありますが信仰を告白したのです。「神も仏もあるものか」と思うそのような経験の中に、神がおられる、その保証が十字架の出来事です。神はこのイエスと共におられるのです。(松見 俊)