1: マタイの復活の特色
マタイによる福音書28:9「すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。」
イエス様は、からの墓から帰ってくる婦人たちに「おはよう」と挨拶をされました。このように、イエス様が挨拶をされたことは他の福音書には記されていません。マタイだけの特色として、このイエス様の「おはよう」という挨拶があります。マタイの伝えたい復活の意味というものは、この出来事から見ていくことができるでしょう。
2: 「おはよう」という挨拶
「おはよう」という挨拶は普通の日常会話として使われる挨拶です。イエス様は復活をなされて、一番にこのように語られました。イエス様の挨拶の意味、それは、私たちの信仰生活において、イエス・キリストが、復活のイエス・キリストが、毎日、平凡な、何の変哲もない生活の中でこそ、私たちに「おはよう」と、日常の会話として、言葉をかけてくださっていることを意味しているのです。
3: 夜が明ける時
私たちは、朝に「おはよう」と挨拶をします。イエス様が十字架に掛けられて、苦しんでいたときに、イエス様の弟子たちは、逃げてしまいました。私たちは、自分自身を、この弟子たちの姿に見ることができるのではないでしょうか。イエス・キリストを十字架につけた者は、まさにわたしたち自身。私たちの罪によるものです。
イエス様の「おはよう」という挨拶は、そのような弟子たち、そして私たちに向かって投げかけられた、まさに優しさの言葉でありました。もう二度と、夜が明けないように感じられるほど、心がくじけてしまっている私たちに対して、「明けない夜はない。もう新しい朝が来ている。死は、もはや過ぎ去り、新しい生命が始まった。」と、復活のイエス・キリストは語られているのです。
4: 新しい命へ 日々の生活の中で
弟子たちは夜の暗闇から朝の光の中を歩みだしたのです。イエス・キリストの御言葉は、新しい命が始まるための御言葉でした。弟子たちは、自分たちの犯した罪を悔い改めながら、新しい希望の光へと、新しい人生を歩み始めるのです。
私たちの普通の、何も変わることのない、信仰生活こそが、まさに私たちの力となり命となるのです。平凡と思われる信仰生活、その信仰生活からこそ、私たちは、イエス・キリストの命の御言葉を受け取っていくのです。新しい命を受け取っていくのであります。
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