ある神学者は『人間の本質と運命』という本を「人間は自分自身最も厄介な問題である。自分自身をどのように考えるべきなのだろうか?」と言う問いで始めます。私たちはそれぞれ悩ましい問題を抱えて生きていますが、自分自身が最も厄介な問題であるというのです。今日のテーマは私とは何者なのかです。
1.2章の資料について
創世記2章4節から新しい物語が始まります。神の名前が、1章の「エロヒーム」から「ヤハウェ エロヒーム」に変わります。さらに、1章の天地創造は、「天」と「地」という順序ですが、2章では、それが逆になり、「主なる神が地と天」を造られたとき、と言われ、地上に注目します。ちなみに1章で用いられた「創造した」とは別なヘブライ語が用いられ、新共同訳聖書では、「造られた」と翻訳されています。この物語は、イスラエルに統一国家ができ、ある程度豊かに暮らせるようになり、生きる虚しさについて考えるようになった、そのような時期に成立しました。人は「土くれから造られ、神様から命の息を吹き込まれて生かされている」という証言は、素朴で、力強く、3千年に亘り人類に影響を与えてきた、神の啓示であると言えるでしょう。
2.水の大切さ
「主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである」。恵みの雨と言いますが、水は人間にとっても植物にとっても、必要不可欠です。特に、乾燥地帯であり、旱魃にたびたび悩まされたイスラエルにとって水はあこがれの的でした。「地から湧き出る泉」(エード、多分地下水)は理想の地です。21世紀は「水」を争う時代になると言われていますが、水はまさに、人間にも植物にも不可欠なものです。
3.環境世界と共に
雨・水に加えて、5節、6節に「土」が、また、5節、9節には、実や種をならせる木や草が登場します。人は環境世界なしでは生きられないのですが、聖書の考えでは、環境世界もまた、人なしで旨くいかないのです。環境世界は「そこを耕し、守る人の奉仕」が必要であるというのです。
4.人間:土に命の息を吹き込まれた者
「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」。(7節)まず大切なことは、人は人の主人ではなく、神からいのちを預かっているものであるということです。また、人は男であれ女であれ、すべて「アダム」なのです。つまり、土(アダマ)から造られ、やがて土に返る存在です。人間は有限の存在です。しかし、土くれである存在に神によって「命の息」(ネシュマー)が吹き込まれて、人は「生きる者」となります。人を慈しみ、神自らかがみ込み、直接、命の息を吹きかけた存在、それが人間です。復活された主イエスは、弟子たちに「息を吹きかけて」、『聖霊を受けなさい』と言われました。主なる神は孤独で問題だらけの私たちを生かすことがおできになります。(松見 俊)
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