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2015.6.10 「痛みの経験」 創世記29:14b-30

1 報酬

 一か月が過ぎて、ラバンはヤコブに言いました。「どんな報酬が欲しいか」。この言葉はとても優しい言葉に感じますが、これはラバンによる計略の始まりでした。もともとヤコブは計略をもってエサウから長子の権利を奪い取り、また祝福を受けてきた者です。ヤコブ自身策略家であったといえるでしょう。しかし、ここではラバンのほうが計略をもってヤコブに話しを進めるのです。

 エサウから逃れてきたヤコブは何も持っていませんでした。そのようなヤコブにはラバンのもとで働くことしか道はなかったのです。ヤコブにラバンは「ただで働くことはない。どんな報酬が欲しいか言ってみなさい」というのです。ヤコブには「働かない」道はありませんでした。ラバンはそのヤコブの弱みをついてきているのです。この言葉はラバンが自分のもとでヤコブを働かせるための言葉です。「報酬」によってラバンとヤコブは契約を結ぶことになるのです。


2 ヤコブの計略

「下の娘のラケルをくださるなら、わたしは七年間あなたの所で働きます」(18)これがヤコブの答えでした。ヤコブの求めた報酬は「ラケルとの結婚」でした。当時のこの地方では花婿の家族は花嫁の家族に銀貨40シェケルほどを支払うものとされていました。このお金は、死や離婚によって関係が破綻したときのために使われたのです。このお金を支払うことができないときには、花婿が義理の父親のもとで働いて、花嫁をめとる対価に見合うお金を用意することもあったのです。当時羊飼い1人の1年分の賃金は約10シェケルと言われていますので、4年間働くことで十分なお金を用意できたのです。

ヤコブにはお金はありません。働く道しかなかったのです。それでもヤコブはラケルとのためには、「7年間働く」と言ったのです。この7年間は常識を超えた時間、常識を超えた金額であります。聖書的にいうと7は「完全数」といわれて象徴的な出来事を表す数字でもあり、その長さを教えます。そういう意味では、この7年間がどれほど法外な金額であったのかを表す言葉でもあったのでしょう。7年間。それはとても長く常識はずれな年月なのです。

 ヤコブは「ラケルとの結婚ができるならば7年間働く」といったのです。ここにはヤコブの策略がありました。あとでラバンが「我々の所では、妹を姉より先に嫁がせることはしないのだ。」と言ったように、本来ならば、レアが先に結婚することが常識であることはヤコブも知っていたでしょう。ヤコブは常識を超える時間「7年間」働くことで、そのことを覆しレアの結婚を超えて、ラケルと結婚することを求めたのでした。これがヤコブの策略です。これはこれまでヤコブのしてきたこと、弟ヤコブが兄エサウをだまして長子の権利を奪い取り、祝福を奪い取った出来事と同じく、本来の順番を超えて、自分の思い通りにしようというヤコブの計略です。


3 ラバンの計略

「ヤコブはラケルのために七年間働いたが、彼女を愛していたので、それはほんの数日のように思われた。」(20)のでした。とても長いはずの年月もヤコブのラケルに対する思いのほうが大きかったのでしょう。それはほんの数日に思われたのです。ラケルと結婚できるならば、7年間という年月もヤコブには関係なかったのかもしれません。どれほど長い年月でも、ヤコブにとっては数日のようにしか感じなかったのです。

しかしラバンはそのヤコブのラケルへの強い想いを利用していきました。ラバンは結婚の祝宴を持ち、その中でヤコブのもとに、ラケルではなく、姉のレアを向かわせたのです。ヤコブはこのラバンの行為に「どうしてこんなことをなさったのですか。わたしがあなたのもとで働いたのは、ラケルのためではありませんか。なぜ、わたしをだましたのですか」(25)と言います。

「だました」という言葉は、約束を破るという意味の言葉だけではなく、その信頼を裏切るという意味です。ヤコブはラバンからの「報酬」としてのラケルとの結婚を求めて、7年間働いたのです。ラバンを信頼してラケルとの結婚の日を待ち望んだのです。しかしヤコブの望んでいた約束の報酬は別の形に変えられたのです。ラバンはヤコブの信頼を裏切り、約束を破ったのです。それでもラバンは「我々の所では、妹を姉より先に嫁がせることはしないのだ。とにかく、この一週間の婚礼の祝いを済ませなさい。そうすれば、妹の方もお前に嫁がせよう。だがもう七年間、うちで働いてもらわねばならない。」(26-27)と平然と答えるのです。当時の習慣において自分は間違ったことはしていないと、これは裏切りの行為ではなく、当時の習慣に従ったまでだと言い切るのです。

ヤコブの策略はラバンには通用しませんでした。7年という長い年月働くことでラケルとの結婚を求めたヤコブでしたが、ラバンは順序を破ることはできないとするのです。ここでいう1週間とは、当時、結婚した者は、その最初の1週間は働くことを免除され、2人はだれにも邪魔をされることなく天幕の中で過ごし、早々に花嫁を妊娠させる意味がありました。そこに結婚の成就が認められていたのです。ヤコブが1週間レアと婚礼の祝いを済ますとは、レアとの結婚を受け入れることでした。ラバンはレアとの結婚を認めれば妹のラケルとの結婚を許すが・・・そのためにはもう7年間働くように求めます。なんという出来事でしょうか。ラバンは7年間というとても長い年月を待たせ、それから姉レアとの結婚をさせ、そしてもう7年という年月を押し付けたのです。このラバンの計略にヤコブはなにもできなかったのです。ヤコブはだまされたのでした。


4 痛みの経験

ラバンは「我々の所では、妹を姉より先に嫁がせることはしないのだ」と言いました。それはヤコブの心を突き刺す言葉ではなかったではないでしょうか。ヤコブは兄エサウの長子の権利を奪いとった者です。兄より弟が先に歩んだのです。そんなヤコブにラバンは、自分のところにおいては「姉が先をいきそして妹になる」というのです。その逆転はできないと。ここではラバンの策略が優っていたのです。

ヤコブはだまされたのです。ヤコブのこの経験はヤコブの心に何を思わせたでしょうか。ヤコブはこれまで自分が傷つけてきた人々、父親イサク、兄エサウの気持ちを少しは知ることになったのではないでしょうか。その痛みがどれほどのもので、どれほど苦しいものか。自分が裏切られるということを体験することによって、その気持ちを少しは知ったのではないでしょうか。だまされる側の痛み、信頼を裏切られる痛み、ヤコブはその痛みを知ることになったのでしょう。

そしてヤコブはレアのために7年、ラケルのために7年、また家畜のために6年ほど、合わせて20年ラバンのもとで働く者となりました。20年の年月は、ヤコブの心に何を思わせて、また何を感じさせたのでしょうか。その中ではラバンによる報酬の変更、信頼の裏切りが続きます。まさにヤコブは、このラバンのもとで痛みを知る者となったのではないでしょうか。そしてそれは自分の心が痛むように、隣の人も同じように心を痛めていること、父イサク、兄ヤコブの心を想うようになったのではないかと思います。