1 旅立ちへ向けて
ヤコブは、これまでラバンのもとで働いてきました。ヤコブはラバンとの駆け引きの中で、姉レアと妹ラケルの二人とも結婚し、そしてそのために14年もラバンのもとで働いたのです。その年月はどれほど長いものであったでしょうか。そのなかにあってヤコブには妻が与えられ、子どもも与えられました。そして今日の箇所では「ラケルがヨセフを産んだころ」とあります。この後の箇所では「この二十年間というもの、わたしはあなたの家で過ごしましたが、そのうち十四年はあなたの二人の娘のため、六年はあなたの家畜の群れのために働きました。」(41:31)とありますように、20年ほど過ぎた時だったでしょう。
ヤコブは妻2人その召し使い2人、そしてその子どもは男の子が11人、女の子が1人と、すでに大所帯となっていたのです。だからこそ、そんな「ラケルがヨセフを産んだころ」に、ヤコブはラバンに「わたしを独り立ちさせて、生まれ故郷へ帰らせてください。」(25)とお願いしたのでしょう。これまで妻を得るために14年も働いてきたのだから・・・「尽くしてきた」ことを「ご存じのはずです」と・・・これがヤコブの思いです。
このヤコブの言葉にラバンは戸惑いました。「もし、お前さえ良ければ、もっといてほしいのだが。」・・・「実は占いで、わたしはお前のお陰で、主から祝福をいただいていることが分かったのだ」(27)
この言葉の前の部分は「もっといてほしいのだが」・・・と後が続かない言葉。ラバンはヤコブにいてほしいがどうしてよいのか戸惑った言葉となっているのです。ラバンは「実は占いで、わたしはお前のお陰で、主から祝福をいただいていることが分かったのだ」(27)、と言い、そして「お前の望む報酬を言いなさい。必ず支払うから」(28)と続けます。ラバンはどうしてもヤコブに留まってほしかったのでしょう。ラバンは「お前の望む報酬をはっきり言いなさい。必ず支払うから」(28)と言いました。ラバンには珍しい謙虚な姿勢です。何をしてもヤコブに留まってほしかった、そんなラバンの姿があります。そしてそこには利益のためには何でもしようとする姿、そこには自分のプライドよりも現実的な豊かさを求める姿があるのです。
ラバンにとってはヤコブの存在はとても大きなものとなっていたのでしょう。ラバンはヤコブを「何を支払っても」手放すことはできないと考えていたのです。だからこそ何度も「何を支払えばよいのか」と問い続けたのでしょう。そしてそれは「何を支払ってでも手放すことはできない」という言葉に言いかえることができる言葉であったのだと思います。
2 ラバンとヤコブの駆け引き
ラバンの「何を支払えばよいのか」(31)という問いに、ヤコブは「何もくださるには及びません。」(31)と答えました。そしてこのようにも続けたのです。「ぶちとまだらの羊をすべてと羊の中で黒みがかったものをすべて、それからまだらとぶちの山羊を取り出しておきますから、それをわたしの報酬にしてください。」(32)これがヤコブの願った報酬でした。「ぶち」とか「まだら」とか「黒味がかったもの」とは、商品価値としては低いもののことであるようです。「何でも支払う」というラバンにヤコブは商品価値として低いものを求めていったのです。
この言葉のヤコブの言葉の本音はどこにあったのでしょうか。ヤコブの求めるのは、この地から旅立つことです。報酬として大きなものではなく、「ぶち」とか「まだら」とか「黒味がかったもの」をいただいて出ていくことを考えていたのでしょうか。それとも「何でもくれる」というラバンに「ぶち」とか「まだら」とか「黒味がかったもの」を欲しいと言えば、ラバンがもっと良いものをくれると思ったのでしょうか。一つ言えるのは、これまでにヤコブの話の中で起こされてきた逆転劇、長子の権利の逆転、祝福を奪い取った出来事、そしてラケルを求めたヤコブが、ラバンに騙されていく姿など。ここでも、同じように何かが起こされていく準備の段階の話だと、読み手に教えているのです。
ラバンは「よろしい。お前の言うとおりにしよう。」(34)と言いながらも「その日、ラバンは縞やまだらの雄山羊とぶちやまだらの雌山羊全部、つまり白いところが混じっているもの全部とそれに黒みがかった羊をみな取り出して自分の息子たちの手に渡し、ヤコブがラバンの残りの群れを飼っている間に、自分とヤコブとの間に歩いて三日かかるほどの距離をおいた。」(35-36)のです。ラバンは「何でも支払う」と言い、そしてヤコブの要求に「お前の言うとおりにしよう」と答えながらも、それでもその報酬がヤコブに渡らないようにします。ラバンの考えもまたどこに本心があったのか考えるところです。ただラバンはヤコブにここに留まってほしかった。だからこそ「何がほしいか」と尋ね、その報酬を渡さないで、いつまでもヤコブをここに留まらせようとしたのでしょう。
3 ヤコブの工夫
そして37-43へと続きます。ここでの一つ一つの表現は言葉として正しく理解するというよりは、その表現自体を受け取ることがいいと思われます。そしてこの後に「あなたはわたしの報酬を十回も変えました。」(31:41)とあるように、ラバンはヤコブに与える報酬を10回も変えたのです。それでも、ヤコブは知恵を尽くして働き、報酬が与えられるようにしたのです。「皮をはぎ、枝に白い木肌の縞を作り」(37)とは「白」と人名「ラバン」とは同義語からくるもので、この言葉は「ラバンのむき出しを作る」「ラバンを裸にする」という意味を含みます。また、「皮をはいだ枝を家畜の水飲み場の水槽の中に入れた。そして、家畜の群れが水を飲みにやって来たとき、さかりがつくようにしたので、家畜の群れは、その枝の前で交尾して縞やぶちやまだらのものを産んだ。」(38-39)とは品種改良の意味を持つ言葉であると考えられます。
いろいろな意味が考えられる言葉が続きますが、確実なことはヤコブは「弱い羊のときには枝を置かなかった。そこで、弱いのはラバンのものとなり、丈夫なのはヤコブのものとなった。」(42)のです。そして「ヤコブはますます豊かになり、多くの家畜や男女の奴隷、それにらくだやろばなどを持つようになった。」(43)のでした。ついに何ももたないでこのラバンのところに逃げてきたヤコブが多くの財産を得る者となっていったのでした。
4 神様の祝福
今日の箇所でヤコブは独立を求めていました。それでもなかなか独立できないヤコブの姿は、この後の「ヤコブの脱走」に続く、準備の場面を表しています。ここではそんなヤコブの焦りの姿、またラバンの必死に引き止める、そんな駆け引きが表されています。そして最終的に「こうして、ヤコブはますます豊かになり、多くの家畜や男女の奴隷、それにらくだやろばなどを持つようになった。」(30:43)と豊かになっていくヤコブの姿があるのです。
ヤコブの物語は神様の選びから始まります。そして弟ヤコブは兄エサウから祝福をだまし取ったのです。それでも結局すべてを失ったヤコブは、今度はラバンのもとで多くの財産を持つことになりました。そこには姉と妹との争いがあり、ラバンとヤコブの争いがあるのです。
人間同士の関係においては、争いがありもめごとが続くでしょう。しかし神様の選び、その祝福は変わることなく実現されるのです。人間の何が良く、なにが悪いということではなく、祝福とは神様の一方的な選びと憐みのうちにあるものなのです。ヤコブの人生はその神様の憐みを教えられる人生だったでしょう。そしてその祝福とはただ神様の憐みが与えられていることであったのだと思います。ヤコブは人間的知恵、駆け引きを行いながらもアブラハム、イサクからの「祝福」を引きついでいくのです。
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