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2015.7.19 「復活~新しい命に生きる~」 マルコによる福音書12:18-27

1:  サドカイ派

 今日の箇所には、「サドカイ派」という人々が登場します。この「サドカイ派」は、18節にありますように、「復活はない」と復活を否定する人々でした。「サドカイ派」は復活を信じていなかったのです。これに対して、復活を信じていたユダヤ教のもう一つの一派。それが、「ファリサイ派」です。サドカイ派とは、権力を持ち、権威的で、モーセの律法を守る立場にある、つまり祭司たちのような人々でありました。そして現実に権力や権威を持っている者だったからこそ、そのすべてを投げ捨て、神の前にひれ伏すこと、新たに命を受け事、つまり新しい命「復活」は必要なかったのかもしれません。


2:  新しい命~復活~

 復活というのは、同じことが続くこととは違うのです。復活は「死」を通り、私たちの肉体の滅びの後に与えられるものなのです。私たちには、死によって、すべての権威も、名誉も、名声も、財産も、一度もっているすべてを手放すときがくるのです。そしてそれは、奪われるというのではなく、すべてを手放して神様に向かうべき道を整えられるというべきでしょう。イエス・キリストに出会うということは、この新しい命の喜びを先取りとして受け取っているともいえるでしょう。


3:  新しい命の意味

 わたしたちは「神様の御許に引き上げられる時」。それを「あの世」「極楽」として、この世の延長の形、この世よりかは少しくらいよいところと考えていないでしょうか。私たちは、神の国、神の愛の支配よりも、むしろこの世で、得をしたほうが・・・と思っていないでしょうか。人々から、ほめられ、好かれ、気に入られるほうが・・・と思っていないでしょうか。イエス様はモーセの「柴」の箇所を引用して語られます。柴の炎、それは、「燃えても、燃えても、燃え続ける」のです。モーセは、燃え尽きない、柴に出会いました。そこに神様を見たのです。 私たちはモーセのように、燃え尽きない柴に出会っている。神様は私たちにイエス・キリストを通してご自身を示されたのです。


4:  命を手放し、命をいただく

 私たちは権力や、権威、財産など、社会的な価値観に振り回されている者です。私たちは、イエス・キリストを主として、イエス・キリストから新しい命を受け取りたいと思います。その時に、私たちは、一度自分の手から神様へと明け渡した、自分の財産や、友人、そして自分の心にも、本当の意味でもう一度目を向ける者とされるでしょう。

 私たちは、イエス・キリストに出会い、日々の生活の中で、神様の愛に出会い、新しい命を受け取っていきたいと思います。