創世記2:18~25は、主なる神は言われた、「「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」という言葉で始まります。
1 関係の中に生きる
この言葉は信仰の大原則です。人は関係の中に生きるものです。一人のときも、誰かが共におり、誰かと共にいるときも人は一人です。たとえ、親とはすでに死に分かれており、子供がなくても、或いは、単身で生きていても、それは祝福された生であり、教会という交わりの中に私たちは生きているのです。
2 名をつける
人は存在しているものに、名をつけます。あるものの本質を知り、それに名をつけ、名を憶えることで世界は広がります。しかし、人が名をつけ、コントロールできるもの、ペットなどの中には人は本当の同伴者は発見できなかったのです。
3 あばら骨の一部から
この個所は、女はあばら骨の一部にすぎないという性差別を助長する危険があります。しかし、当時の知見では、あばら骨は心臓を守る大切なものと考えられていたのではないでしょうか?心臓をとってしまったら死んでしまうから、その一番近くにあるものから共に生きる者が「命を分かち合うももの」として創造され、共に生きるパートナーとされているのです。人間の「人格」の大切さです。ヨハネ19:34は、教会は十字架で殺され、イエスの脇腹から流れ出た血と血漿によって誕生したと考えています。
4 男と女
関係の中に生きる人間にとって、男女が共に生きる、結婚する、それは一つの典型的かたちでありますが、一つのかたちでしかありません。結婚を絶対化してはいけません。一人で、しかしだれかと共に生きることも「祝福されている」のです。
5 父と母を離れること
それぞれが共に生きるためには、人生の最初期以来共に生きてきた親から分離、独立していなくてはなりません。裏を返せば、親も子離れしなくてはならないのです。人生の諸段階で、親(環境)は、その人を、「抱き留めること・守ってあげること」とその人を「手放し、送り出してあげること」のバランスを考えることが大切です。親も子も、その孤独に耐える者でなければなりません。神がキリストを通して私たちの傍らにいて下さるからこそ人は孤独に耐えることができるし、共に生きることができるのです。(松見 俊)
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