1 ヤコブの不安・恐れ
ヤコブはエサウに使いを出します。このときのヤコブの心には不安と恐れでいっぱいだったでしょう。20年前、エサウの怒りを恐れて逃げ出したヤコブです。20年はヤコブにとってはとても長い年月だったでしょう。しかし、それでもエサウの気持ちがどのようになっているのかなど分かりません。エサウから長子の権利を奪い、イサクからの祝福、つまり神様からの祝福を奪い取ったヤコブです。エサウはそんなヤコブを憎んで、殺そうと思っていたのです。「エサウは、父がヤコブを祝福したことを根に持って、ヤコブを憎むようになった。そして、心の中で言った。『父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる。』」(27:41)憎しみに満ちていた兄エサウのもとに向かうヤコブの心には、不安と恐れでいっぱいだったのです。
ヤコブはまずエサウがどのように思っているかを探るために使いを出します。「あなたの僕ヤコブはこう申しております。わたしはラバンのもとに滞在し今日に至りましたが、牛、ろば、羊、男女の奴隷を所有するようになりました。そこで、使いの者を御主人様のもとに送って御報告し、御機嫌をお伺いいたします。」(5-6)使いの者が帰ってきて伝えた報告はこのようなものでした。「兄上のエサウさまのところへ行って参りました。兄上様の方でも、あなたを迎えるため、四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます」(7)このやりとりによって、ヤコブの恐れは膨れ上がりました。エサウが400人の部下を連れてきたのです。ヤコブはエサウが400人の部下を連れて攻撃に来たのではないかと考えたのです。
2 2組に分ける
この恐れの中でヤコブは3つのことを行いました。1つ目にヤコブは自分たちの民を2組に分けたのです。ヤコブは一方が攻撃を受けても、残りは助かるようにしたのです。これはヤコブらしいといえばとてもヤコブらしい行為です。「一方の組に攻撃を仕掛けても、残りの組は助かると思ったのである。」(9)ヤコブはエサウの怒りから逃れる準備をしたのでした。
戦うことにおいて戦力を2つに分けることは、奇襲のため、また真っ向勝負をしても勝ち目のないときの方法でしょう。ヤコブはここで自分たちの民、財産を2つに分けました。ヤコブは奇襲を狙って戦おうとしたのではありません。むしろもう戦う意志などなかったのでしょう。どちらかが攻撃を受けても、どちらかが逃げることができるようにした。ヤコブはエサウと戦うためではなく、どうにか半分でも逃げることができるように用意をしたのです。
20年前エサウの怒りから逃げ出したヤコブです。エサウの怒りの心はどうなっているのかわかりません。ヤコブは恐れのなかで、まず逃げる準備をしたのでした。
3 祈り
2つ目に、ヤコブは神様に祈るという行為をとったのです。ヤコブは神様に祈りました。「わたしの父アブラハムの神、わたしの父イサクの神、主よ、あなたはわたしにこう言われました。『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたに幸いを与える』と。わたしは、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつてわたしは、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでになりました。どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません。あなたは、かつてこう言われました。『わたしは必ずあなたに幸いを与え、あなたの子孫を海辺の砂のように数えきれないほど多くする』と。」(10-13)
ヤコブは人間的知恵を用いて計算し、逃げる準備をしました。しかし、ヤコブは祈らなければならなかった。ヤコブの恐れは自分の知恵だけではどうにもならないほどに大きく膨れ上がっていたのでしょう。ヤコブはまずこの道が神様の導きであることを主張します。そしてそれでも自分はその慈しみを受けることもできない者であることを認めるのです。そしてそれでも神様は見捨てず、無一文な自分をこれほどに豊かにしてくださったと。そして「助けてください」と願うのです。「あなたは幸いを与え、恵みを注いでくださると」と、その言葉を信じて、「助けてください」と祈るのです。
「受けるに足りない者」。それは「より小さい者」という意味でもあります。ここにはイスラエルの神様が「世の強い者」に対抗し、「もっとも小さい者」を救いだす方であるという基本的信仰を中心にヤコブの祈りが祈られているのでもあります。ヤコブは神様に助けてくださいと祈りました。
カルヴァンはこの時のヤコブの姿を、その信仰の思いが詩編34編の言葉と繋がっていると教えます。「わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。わたしは主に求め、主は答えてくださった。脅かすものから常に救い出してくださった。主を仰ぎ見る人は光と輝き、辱めに顔を伏せることはない。この貧しい人が呼び求める声を主は聞き、苦難から常に救ってくださった。主の使いはその周りに陣を敷き、主を畏れる人を守り助けてくださった。(詩編34:4-8)
神様は苦しんでいる者を助け、助けを求める者の声を聞いて下さるのです。ヤコブの祈りは、この神様の救いを基に祈られた祈りでした。
4 なだめの行為
3つ目として、ヤコブはエサウをなだめることを考えました。
自分の持ち物の中から・・・エサウが一番喜ぶと思われる贈り物を用意したのです。雌と雄を送ることは、そこから将来繁栄することを示すもので贈り物としてとても価値を高めたのです。しかも山羊、羊、ラクダ、牛、ろばと、ヤコブにとって考えられるすべての財産、その中でも特に良いものをと選んだのでした。しかも、そのすべてを一緒に送るのではなく、群れごとに分けて、群れと群れには距離を置いて送りました。
この行いは、エサウの心に「贈り物か」「また贈り物?」「なになにまた贈り物だと?」「そうか、また贈り物か」・・・と何度も贈り物をもらうことで心に変化を起こすためのもので、エサウの怒りが少しでもなだめられるためにヤコブが行った行為でした。エサウの怒りをなだめるためにヤコブは最大の知恵を使い、出来る限りの力を使ったのです。
ヤコブの行為には、賢さと同時にその行為に対する真剣さを受け取ることができます。ヤコブはまず、なにが起こっても大丈夫なように持ち物を2つに分けました。できる限りの準備をしたのです。そしてヤコブは祈ります。神様に救いを求めたのです。そして自分の最大の力と知恵をもって、エサウの和解に向けて、エサウの心が変えられるように、出来る限りのことをしたのでした。ヤコブは和解のための3つの行為、準備、祈り、なだめ、とそのために出来る限りの行為を行ったのです。
5 顔と顔
そしてその上でヤコブはエサウと顔と顔を合わせること「和解」ができることを信じたのです。「ヤコブは、贈り物を先に行かせて兄をなだめ、その後で顔を合わせれば、恐らく快く迎えてくれるだろうと思ったのである。(21)この場所の別の訳では「わたしがさきに送る贈り物をもってまず彼の顔をなだめ、それから彼の顔を見よう。そうすれば彼はわたしの顔をあげるであろう。」(21)
20-21節の間には「顔」と同じ発音を持つ言葉として「顔・先・先立つ」という言葉が5回も現れます。これはこの後の神様と顔と顔を合わせるペヌエルの出来事を予感させます。つまり神様と出会い「顔と顔」を合わせるとき「和解」の出来事です。
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