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2015.8.26 「神様との格闘」 創世記32:23-33

1 ヤコブの状況

 今日の箇所はヤコブが神様と格闘し、出会い、変えられていく場面です。この時のヤコブの状況を考えますと・・・ヤコブは、アブラハム、そしてイサクの子として、神様から祝福された家族の子として生まれたはずだったのです。ヤコブは兄のエサウと、神様の恵みを取り合い、争いの中、自分の策略、戦略によって、神様の恵みを勝ち取ろうとしたのでした。その結果として、ヤコブは家族から逃げ出す者となったのです。それは家族だけではなく、イスラエルの社会から、そして民族からの追放です。追放され、逃亡したヤコブは、母リベカの実家ラバンの家に行くのです。そしてその家において暮らすのです。月日が経ちヤコブにも家族や子どもができるのです。そしてヤコブは、父イサク、そして兄エサウのもとへと帰ることにするのです。

 しかし、そこは以前自分が争いと、問題を起こした場所です。今日の箇所は、ヤコブがその争いと向かい合う最後の一歩の時です。


2 祈り 創世記32:10-13

故郷に帰りなさいと命令されたヤコブは、神様の言葉に従い帰る支度をします。そしてエサウのいるところの近くまで来たところで、エサウに使いを送ります。ヤコブはエサウのご機嫌をうかがうのです。使いの者からは、エサウが400人の部下を連れて迎えにくるとの報告がありました。ヤコブはエサウが攻撃に来たのだと思い、神様にお祈りしました。ヤコブはここで「神様、助けてください」と、お祈りするのです。ヤコブは「あなたの約束を信じます」とお祈りするのです。


3 顔と顔を合わせた格闘

ヤコブは「助けてください」と祈りました。エサウとの再会の前にヤコブにあったのは恐怖であり自分の無力感です。ヤコブにはもはや祈るしかなかったのでしょう。この祈りによってヤコブと神様との格闘が始まったのです。「ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」(25-27)

ヤコブは必死に神様と向かい合い、格闘します。これは「顔と顔を合わせた」格闘です。ヤコブは真剣に神様と向き合ったのでした。そして自分とも向き合ったのでしょう。神様が与える祝福の意味、そして神様と向き合い祈ることの意味など、本当に「自分が生きている意味」を神様に向かって求めたのではないでしょうか。ヤコブは自分の腿の関節をはずされても、この格闘をやめようとはしませんでした。神様から目を離しませんでした。必死に、なにがなんでも祝福を受けるために離さなかったのです。


4 祝福=不自由

ヤコブは、神様と格闘をし、その上で本当の祝福を受け取るのです。ヤコブがいただいたのは「イスラエル」という名前と、「足の不自由」という実質的な変化でした。ヤコブは変えられたのです。それはイスラエルという名前に、まさにアイデンティティを変えられたのです。ヤコブという名前の意味「乗っ取る者、陰謀をたくらむ者」からイスラエルという名前「神支配したもう、神護りたもう」という者へ変えられたのです。これまで、自分自身の策略、戦略で、人のもの、物質、財産、地位、名誉を、奪い取ろうと、そんなことばかり考えていたヤコブはイスラエルと変えられた。「神様が支配して、神様が護る」者と変えられたのです。ヤコブはイスラエルとなり、神様との関係の形が変えられたのです。

そしてこの祝福は足の不自由を伴う祝福でした。ヤコブには不自由を伴った祝福が与えられます。それは、不自由という人間の価値観ではありえない、むしろ敗北であり、弱さという出来事と思われることでした。不自由とは、人間の社会では、弱さ、困難、試練です。決して祝福とは思うことはできないでしょう。ヤコブはこの不自由の中に、「神様の支配と神様の護り」を見出したのです。困難と試練の中で、その中でこそ、神様に向かい合い、そして神様の本当の支配を知り、イスラエルと変えられた。それがヤコブにとって一番の祝福となったのです。この不自由の伴う祝福。弱さの中にある強さ。それは、私たちをイエス・キリストの十字架の福音へと向かわせます。イエス・キリストは、まさに十字架において弱さの中で与えられる福音を示されたのです。私たちはこの十字架のイエス・キリストに目を向けることによって、本当の祝福・福音を得るのです。


5 和解 ヨハネ4:1220-21

ヤコブは神様によってイスラエルとされ、不自由が与えられるのです。ヤコブがここから突き動かされていく道は、和解の道です。ヤコブはエサウとの和解に向かうのです。神様との格闘によって示される道は愛を全うする道です。神様に祈る時、必死に祈り続けるときにそこに愛が注がれるのです。兄弟と共に愛を表すという道。それが祝福だとヤコブは示されていくのです。私たちが突き動かされていくべき道はどこにあるのでしょうか。その中心は、イエス・キリストの十字架による愛の道。それは弱さと痛みをも伴う、祝福。私たちの苦しみをも知って、そして本当の愛を作り出してくださる祝福の道であります。私たちは、このイエス・キリストに委ねていくのです。


6 日が昇る時 創世記32:32-33

ヤコブは神様との格闘の末に祝福を受けました。その後、朝日がヤコブを照らします。私たちにも闇の中を過ごさねばならない時、不安と苦しみの中を過ごさなくてはならない時があるのです。しかしそのような時にこそ、神様と向き合い祈って格闘する必要があるのです。そして、神様に真剣に祈り続けるときに、私たちには必ず朝日が昇るのです。