1 貧しいやもめ
やもめとは、結婚をして、夫を失った女性のことです。当時「夫」は生活を支える人、自分の生きる糧を稼いでくれるという意味がとても強かったのです。今日、登場するやもめは、「貧しいやもめ」と語られるように「貧しく」「生きる力を失っていた」。レプトン銅貨2枚、それが生活費のすべてです。もはや生きる為の財産は尽きていたのです。
2 囚われた心
やもめは現実の貧しさから、自分を受け止められない。自分を愛せない。そんな苦しみがあったのではないでしょうか。このやもめの姿から、自分の弱さを受け入れられない姿を見ることができます。わたしたちは誰にでも欠点があり、弱さがあります。自分の弱さを受け止めきれない時、わたしたちは自分自身を愛することができないという心に囚われていくのです。
3 やもめの決断
レプトン銅貨2枚。それはやもめの貧しい心の中で、最後にやもめが献げた神様への決断でありました。やもめは小さい心、弱り切った心、誰にも理解されることのないという苦しみ、そしてもはや自分でも自分を愛することができないという苦しみのすべてを、神様に献げたのです。それは、自分の人生、命、生きる希望、そのすべて、つまり、もはや小さくなった自分「小さな自分のすべて」を、神様に献げるという決断をしたのでした。
4 小さな信仰を拾い上げる方
そして、この小さな信仰の行為を、イエス様は拾い上げられたのです。イエス・キリストは、この小さな決断を、やもめの決断を拾い上げられたのでした。そして今、イエス・キリスト、救い主は、小さな私たち一人一人を、誰一人見落とすことなく拾い上げてくださるのです。イエス・キリストは、私たち小さな者を拾い上げられるために、大きな決断をなされました。十字架の道です。イエス・キリストの十字架の道は、やもめと共に生きる道、私たちひとりひとりを愛するための道でした。
5 囚われからの解放
私たちは、小さな自分に、そして自分の欠点や失敗に囚われていないでしょうか。イエス様の十字架は、この私たちの苦しみを受け取ってくださいます。そして、イエス・キリストは復活なされました。新しい命の創造、永遠の命の創造です。そしてこれは解放の命です。私たちの中に、復活のイエス・キリストはすでに来られています。今、イエス・キリストの決断、十字架と復活に応答して、私たちは信仰を受け取っていきたいと思います。
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