1: 敬老の時
敬老の時。それは若者が「老いを敬う時」であり、また老い行く者が「老いを喜ぶ時」です。私たちは神様に生かされている。そして神様のために生きていく。そんな単純ですが、一番大切なことを、自らの人生の経験や体験から受け取ってきた者。「神様のために生きていく」ことを心の底から教えられた者。そして、今、まさに「自分のために生きている」ところから「神様のために生きていく」ことの喜びを知りつつある者。そのような者たちが、一緒に神様を礼拝する時、それが敬老特別礼拝なのです。
2: 老いと幸せ
現在の日本の平均寿命は、女性は86才で世界1位、男性が80才ということで世界3位です。日本はトップクラスの長寿国と言えるでしょう。これに対して、日本の幸福度ランキングは46位です。この数字を見ると長生きすることと、幸せに生きることは直結しているわけではないと見えるのです。
神様の愛に満たされて生きるときに、年を重ねていくこと、「老い」は喜びの一つです。それに対して年を重ねることが喜びと繋がらない。それがこの世の現実なのではないでしょうか。
わたしたちは今、生きていることを、喜んでいるでしょうか。
3: 生かされている者
聖書は、わたしたちは神様によって愛されて、生かされていることを教えます。神様は「罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かして」くださったのです。わたしたちはキリストと共に生きるものとされたのです。それは自分で生きる、自分の命を自分のものとする、自分がもっているものはすべて自分のものとしていることからの解放でありました。わたしたちは、神様の賜物として、ただ神様の憐みと恵みのうちに生かされているのです。
4: 「できる」から「いる」
年をとると年々、できることが少なくなるかもしれません。そして、できることが少なくなると、力を失ったように感じるときもあるでしょう。しかし、できることが少なくなるとき、それはむしろ力を失うのではなく、神様から預かっていた能力をお返ししていくときなのです。それは、「自分がなにかができる」というところに価値を見出していた者が「自分がいる」というところに価値を見出していくときでもあるのです。わたしたちは神様によってただその存在を喜ばれているのです。
わたしたちはイエス・キリストによって造られました。わたしたちは、お互いに神様に喜ばれている存在であるということを、今一度確認したいと思います。
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