創世記3章から、人間の現実とはどのようなものかを学びます。
1.賢さの象徴としての「へび」
「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった」「へび」は古今東西、知恵・知識の象徴であり、神の使いとされています。「へび」は私たちに人間にとって大切な知識・知恵、「賢さ」の象徴です。
2.「賢さ」の持つ問題
「賢いこと」は人間の願いです。しかし、現代の教育は知識偏重であると言われ、善い人というより、ご勉強のできる人が出世するようなところがあります。しかし、知識を詰め込むだけではだめで、豊かな情緒、そして強く、正しい意志とのバランスが大切であると言われます。夏目漱石は有名な『草枕』という作品の冒頭で、「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」と言います。知・情・意のバランスは神との関係が良くないと旨くいきません。しかし、現代人は人間の「賢さ」を過大評価し、神との関係を見失っています。
3.「賢さ」の内実
「へび」は女に囁きます。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」。ヘビは否定的なもの、禁止を強調して女に尋ねるのです。無いものを数える。すると人は不安、そして、不平不満が沸き上がってきます。
4.賢さの結果
「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした」。「主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れた」。知識・知恵が与えられると、相手の足りない現実、自分の醜い現実が分かって、互いに直視できなくなるというのです。人は、あるべき場所からズレ落ちてしまっているという感覚、ユダヤ教、キリスト教の基本的な現実理解につながっています。
5.和解への暗示
何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからである」(ペトロI・4:8)。知識・知恵は相手の問題を暴露しますが、愛は、それを「覆うもの」なのです。「バプテスマを受けてキリストに結ばれたあなた方は皆、キリストを着ているからである」(ガラテヤ3:27)。お互いがキリストの恵み、赦しを身にまとっているものとして見ることが必要です。私たちは裸ではなく、キリストの愛に赦され、隠されて神の前に立つことができるのです。
6.人は神にはなれず、神になる必要もない
知恵・知識、善悪を知って、あたかも神のように賢くなった人間は、その賢さをうまくコントロールして生きることはできず、自己破滅してしまう危険があるのです。(松見 俊)
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