1 エサウの系図の位置
今日の箇所はエサウの系図です。まずこの系図の特徴は、なによりも一番にその位置にあるでしょう。ここはヤコブの物語の最後の部分です。イスラエルの祖、ヤコブ(イスラエル)出生から、逃亡、そして帰郷というヤコブの物語の最後に、兄エサウの系図があるのです。なぜでしょうか。本来ならばヤコブの系図があってもいいのではないでしょうか。今日の箇所の前には父イサクの死を告げる言葉があり、そこには祝福を奪い、憎しみと恐れという関係の中にあった者たち、兄と弟が、父の死を迎えて共にいる姿を示します。父の死の場面にエサウがいることは、今日の箇所エサウの系図につながるのです。「エサウはカナンの娘たちの中から妻を迎えた」(2)。つまりエサウは異邦人とつながる者となっていった。それでも、このエサウ、エドム人の系図は遡ると、アブラハム、イサク、ヤコブにつながることを教えます。
ヤコブの物語は、ヤコブの人生によって、人間の知恵、力とともに、ずるがしこさ、弱さ、そしてその限界など・・・さまざまな姿が示され、またその中で神様と向き合う信仰、そしてその信仰に応える神様の恵みが示されるのです。ここにイスラエルの民は、神様に向き合う信仰の基を見たのではないでしょうか。ヤコブがイスラエルとされた。神様から祝福されたアブラハム、イサク、ヤコブと続き、その祝福がイスラエルに注がれていることを表すのです。
そしてその物語の最後に、エサウの系図がきているのです。見ることができるのは、異邦人であるエサウ・エドム人もヤコブ・イスラエルにつながる者であるということです。
2 エサウに対する聖書の言葉
思い返してみますと、聖書はエサウに対してすべてが否定的ではなく、むしろ敬意をもって描いているところもあります。これまでの物語を見てみると、むしろヤコブの姿のほうが悪者として記されているのです。実際ヤコブが長子の権利と神様の祝福を奪った。それは兄弟であるエサウを怒らせる出来事であり、イサクを裏切る姿です。聖書はヤコブを中心として話が進みますが、エサウとヤコブでは、むしろヤコブは悪者で、エサウは良い者と感じるように記されているのです。
27章において、祝福を奪ったヤコブに対してエサウは「殺してやる」とまで考えました。しかしその時でも、エサウの存在を否定しているのではなく、むしろ、そんな人間としてのエサウの姿が丁寧に記されています。そしてまた、33章においてのエサウとの和解の場面でも、エサウが否定的に記されてはいないのです。今日の箇所でも6節からの場面では「エサウは、妻、息子、娘、家で働くすべての人々、家畜の群れ、すべての動物を連れ、カナンの土地で手に入れた全財産を携え、弟ヤコブのところから離れてほかの土地へ出て行った。彼らの所有物は一緒に住むにはあまりにも多く、滞在していた土地は彼らの家畜を養うには狭すぎたからである。エサウはこうして、セイルの山地に住むようになった。」(6-8)
このように、エサウが分裂を起こしていったというよりも、必要に応じて、平和的に別れていったようにも記されているのです。
3 エサウ(エドム)に対する聖書の立場
エサウ、エドム人に対して聖書は何を語っているのでしょうか。それはただ敵対する民族ではなく、むしろもともと一つの民であった者として敬意をもって見ているのです。(申命記2:4-5、申命記23:8-9)
しかしまた、聖書におけるエドム人に対しての言葉はこのような敬意を表す言葉だけではないのです。実際にエドム人との争いの中で、エドムに対する厳しい言葉もあるのです。(民数記20:14-21、マラキ書1:2-5)
実際に現実においてはイスラエル民とエドムの民の間には争いがあった時が長く続いていたのです。土地に関して、そのほかさまざまなことにおいて、イスラエルの民にとって、エドムの民は、争いの相手であり、憎みあいの対象であり、一緒に恵みを喜びあう対象ではなかったのでしょう。今日の箇所から読み取ることができるのは、イスラエルとエサウはもともとさかのぼると同じであった。しかし歩みだした道は違うのです。
4 エドム王国
今日の系図では、エサウの子どもたちが首長となっていきます。10節から14節まではその子どもと孫までの三代の名前が並べられ、15節からはその孫たちが首長となったことを示しているのです。エサウつまりエドムの子ども、そしてその孫がその首長となったのです。
そして系図は、エサウの子孫に続き、フリ人セイルに続きます。エドムとフリとの関係は、エサウの子孫がフリ人を滅ぼし、この地を占拠したことになっています。ただ、ここでは、エサウの妻オホリバマがフリ人として25節にあることから、エサウとフリは婚姻関係によってつながられたとも見ることができます。
このあとに、エドムが首長制から王制へと移り変わることを見ることができます。31節からは「イスラエルの人々を治める王がまだいなかった時代」(31)とありますように、イスラエルが王制となったことを知っている者が記したのでしょう。イスラエルの王制よりも前に、すでにエドム人は王制をとっていたことを教えるのです。エドムの王はディンハバ、ボツラ、テマン、アビト、マスレカ、レホボト、パウと地域が記された王となっています。エドムの王制が世襲制ではなく、多くの地域の集合体、多くの首長の集まりであり、そこから王を選び出していたことを示しています。ここに首長制、部族制から王制にうつる初期段階を見ることができます。
エサウの立場を見てきました。イスラエルとエドムは違う道を歩んだのです。しかし遡れば同じ父イサクから生まれたエサウとヤコブと教えます。
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