1: いちじくの木
もともとユダヤでは日本のように、四季がはっきりしていないで、冬の後、春が来て、夏になるというより、冬の後に夏が来ると感じていたようです。そのため、今日の箇所、「夏が近づいた」とは冬が明け、暖かい日差しの時が来ることを教えているのです。「人の子が戸口に近づいていること」、いちじくで言えば「実」がなること、そして季節で言えば「冬」が「夏」になること、つまり暖かい日の差し込む時がくることを「悟りなさい」と言われているのです。
これは暗闇のうち、冬の時を歩いている私たちに対する励ましのメッセージです。
2: わたしの言葉は決して滅びない
わたしたちの人生も、余命は何か月か何年かわかりませんが、確かなことはいずれすべての者が、死んでいくということ。この世界を造られた方、神様のもとに召されるということです。そのような私たちに、キリストは「神の御言葉」を受け取る者は「滅び」「消えいく」人生ではなく、永遠に生きると教えられるのです。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(31)神様の御言葉を受ける者は、神様に与えられた命を生き続けるのです。
3: わたしたちを支える神様の御言葉
イエス様は、これから十字架に向かうところにありました。キリストの十字架と復活は、神様が私たちをどこまでも愛されているということを示された出来事でした。過ぎゆく世界にあっていつまでも残るもの、それは「信仰と希望と愛」である。その中でももっとも大いなるもの、中心にあるのは「愛」なのです。神様が私たちを愛している。この愛は永遠に変わることのないのです。この愛が私たちを過ぎゆく者から永遠にある者へと変える。私たちの人生の指針となるのです。
4: 滅びない神様の愛
わたしたちは、病の時、苦しみの時、痛みの時、不安の時、いずれ過ぎ去るものを中心に生きるのでしょうか。それとも、そこにあって神様の愛、「決して滅びない」神様の御言葉に立つのか。わたしはイエス・キリストが共にいてくださるという希望に立っていきたいと思います。わたしたちは神様の愛に立ち返りましょう。決して滅びることのない愛の御言葉を受け取っていきたいと思います。
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