1: 祝福
今日は、幼児祝福式を行いました。すべての者は神様に望まれて、神様の祝福のうちに生まれてくるのです。すべての命が神様に祝福されている。すべての者の人生は神様の愛に包まれている。幼児祝福式は、この神様の祝福の恵みを思い起こさせます。神様の祝福は「主が共におられる」ということです。今日の祝福式は、これから育つ子どもたち一人一人の上に、主の祝福を望む時です。それは一人一人のうちに主イエス・キリストが共におられるようにと願う祈りです。
2: ハンナの祈り
今日の箇所はハンナが願いがかなえられたことを喜び、同時に主に委ねるという場面です。ハンナはエルカナという人の妻でした。そしてエルカナにはもう一人の妻ペニナという人がいたのです。ペニナには子どもがあり、ハンナには子どもがいませんでした。ペニナとハンナの間には敵対心がうまれ、共に生きることが出来ない心になったのです。
ハンナは神様に祈ります。「助けてください」という祈りです。競争心、嫉妬心、自分をだれかと見比べて、自分を受け入れられない時、それはどれほど苦しいときでしょうか。ハンナに与えられた恵みは、サムエルという子どもを通して与えられた「神様が共におられる」という神様の愛です。
3: 子どもがささげられるとき
ハンナは神様に愛されていること「主が共におられる」という恵みを素直に受け取りました。「主が共におられる」という祝福を実感したのです。ハンナにとっては命にかえてもいい、むしろ命よりも大事なわが子です。その子どもを大事に大事に育てて、そして自分のもとに置いておくのではなく、神様にお返しするのです。これがハンナの信仰です。神様は私たち人間を愛されています。神様はハンナを愛しました。神様はハンナの痛み、苦しみを知ってくださいました。「助けてください」という言葉を聞いてくださったのです。孤独という一番の苦しみを解放してくださった。ハンナは神様からの愛をいただいたのです。
4: 主に委ねて生きる
私たちは、何を土台に生きているでしょうか。お金でしょうか、地位でしょうか、権力でしょうか、自分の能力やプライドでしょうか。そして何を土台にして、どこにむかうのでしょうか。神様を信じたとき、イエス・キリストを自らの主と信じるときに、教会ではバプテスマを受けます。自分の命は自分のものではなく、神様のものであること、自分の持つものはすべて神様によって与えられたものと信じるときです。主の愛に応えるという応答の道を歩むことをおすすめします。
主は、わたしたちを愛しています。私たちは、このイエス・キリストによる神様の愛を受け取りたいと思います。そしてすべてを主に委ねて生きていきましょう。
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