最初の人は、知識を得て、神のようになろうとして、かえって、神から身を隠し、お互いも向き合うことが難しくなったことを創世記3:1~10から学びました。人間の不安、自分の居場所が見つからないという思い、様々な対立の根っこがここにあると古代の信仰者が教えます。現代においても通用する、いや、現在私たちが聴くべき大切なメッセージです。
1.責任を転嫁する人間
神はアダムに問います。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか」。この問いに、アダムは答えます。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」。これはまさにエバへの責任転嫁です。そこで、主なる神は女に問いかけます。「何ということをしたのか」。今度は、エバは蛇に責任転嫁をします。知恵や知識はあっても、責任を負えず、弱く、脆い存在、これが人間です。
2.神の宣言(審判)
神は女に向かって言われます。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む」。女性は出産という苦しみを通して喜びを得、喜びは苦しみ、痛みの経験を通して与えられるのです。男に向かって言われます。「お前は、生涯食べ物を得ようと苦しみ。お前に対して、土は茨とあざみをはえいでさせる。野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る」。男性は、労働の汗、苦労によって生活の糧を得、また、苦労を通して自分自身の生きがいを得るのです。人生の喜びは、どこか神の審きの影を持っている。生きることは大変なことです。しかし、神は、苦悩や悲しみを通して私たちに深い喜びを与えて下さるのです。
3.人の苦悩を経験される神
聖書はさらに深い真実を告げます。イエス・キリストはアダムとエバの末から生まれ、人の悩み、苦しみを味わい尽くしました。貧しい大工、あるいは石工を生業とし、30歳過ぎで神の国の福音を説教し、弟子たちを集めましたが、当時の指導者たちからから嫌われ、弟子たちからも捨てられ、十字架で殺されてしまいました。まさに、貧しい、苦悩の生涯でした。しかし、神はこのイエスを死者の中から引き揚げられたのです。つまり、神はみ子イエス・キリストを通して人の貧しさと苦労を経験されたのです。(松見俊)
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