1 破綻していたシャローム
兄たちは父の羊の群れを飼っていました。しかしヨセフは一人別行動をしていました。ヨセフはヤコブの偏愛の中、一人労働に加わっていなかったのです。そんなヨセフが兄たちの無事、羊の群れの無事を確かめに出かけます。
しかし、すでに兄たちとヨセフの関係は破綻していたのです。兄たちの無事、この無事は「シャローム」という言葉で表されます。この言葉は「兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった。」(37:4)の中の「穏やか」という言葉と同じ言葉になります。兄たちはヨセフを憎み、すでに「シャローム」という関係、「日頃のあいさつ」であり、「平安」「平和」を表す言葉による関係は破綻していたのです。兄たちとヨセフの関係は崩壊していました。 兄たちの「シャローム」を見届けるために出かけたヨセフと、兄たちとの「シャローム」の関係はすでに崩壊していたのです。
そんな中で「イスラエルはヨセフに言った。『兄さんたちはシケムで羊を飼っているはずだ。お前を彼らのところへやりたいのだが。』『はい、分かりました』とヨセフが答え」(37:13)たのです。(37:13)すでに、兄たちとヨセフの関係が崩壊し破綻していることは父イスラエルも感じていたのではないでしょうか。それでもイスラエルはヨセフを兄たちのところに向かわせ、ヨセフもその命令を快く受けるのです。
イスラエルもヨセフも兄たちの怒りに無神経だったのではないでしょうか。わたしたちは他者の怒りに対して無神経になっていないでしょうか。他者の気持ちを理解するためには、とても大変な労力と緊張感とが必要であり、それはとても大変なことです。その緊張感を忘れるときに、私たちはすぐ無神経な者として陥るのかもしれません。
2 はぎ取られた「晴れ着」
ヨセフはドタンへと向かいます。兄たちははるか遠くのヨセフを確認しました。ここにはヨセフの晴れ着が大きく影響しているでしょう。「イスラエルは、ヨセフが年寄り子であったので、どの息子よりもかわいがり、彼には裾の長い晴れ着を作ってやった。」(37:3)このように、ヨセフだけが裾の長い晴れ着を着ていたのです。兄たちは、そんなヨセフを憎んでいました。だからこそ遠くからきた憎むべき相手、晴れ着を着たヨセフを簡単に見つけることができたのでしょう。ヨセフの裾の長い晴れ着は、兄たちにとってみれば憎しみの象徴でもありました。実際に「ヨセフがやって来ると、兄たちはヨセフが着ていた着物、裾の長い晴れ着をはぎ取」(23)ったのです。ヤコブのヨセフへの偏愛の象徴、兄たちからすれば憎しみの象徴「裾の長い晴れ着」をもって兄たちはヨセフを遠くから認識し、その晴れ着をはぎ取るのです。
3 殺意
兄たちはヨセフの夢、「畑の束」の夢、「太陽と月と星」の夢から、ヨセフからいずれ自分たちがヨセフにひれ伏すときが来ると言われていると理解していました。そしてこの夢は不思議な導きのうちに成就していくのです。兄たちはそんなヨセフ「夢見る方」を受け入れられませんでした。弟ヨセフが自分たちの支配者となることを受け入れることはできなかったのです。この夢が生んだのは、兄たちとヨセフの関係の破綻であり、兄たちの殺意でした。兄たちは、そんな夢がどのようになるのか、そんなことは絶対に起こるものではないとして、ヨセフを殺そうとしたのです。
しかし、この殺人にルベン、最年長者が反対をするのです。ルベンは殺人に反対します。「命まで取るのはよそう。」(21)「血を流してはならない。荒れ野のこの穴に投げ入れよう。手を下してはならない。」(22)「血をながす」とは、殺人を表す生々しい表現です。旧約聖書では創世記9:6において「人の血を流す者は、人によって自分の血をながされる。人は神にかたどって造られたからだ」と教えます。「血を流す」とは殺人の重大さを伝える言葉です。
4 穴に投げ込む
ヨセフは穴に投げ込まれました。ヤコブの偏愛の象徴「裾の長い晴れ着」ははぎ取られ、そこは空っぽで水もなかったのです。
このあとどのようにするかは決まっていませんでしたが、兄たちは、一時的に憎しみいう心を満たされたのでしょう。そしてひと段落したところで、ユダが新しい提案をするのです。このまま捨てさるよりも、売り飛ばしてしまおうという提案です。これはヨセフの命を考えるというよりも自分たちの損得でものを考える兄たち、とくにユダの思いが示されます。ユダは殺人もしないで、自分たちの手を汚すことなく、ヨセフを遠ざけて、怒りと憎しみを満たそうとしたのです。それは自分の手を汚さず、他者に罪を押し付けた行為でもありました。
しかし、そんなユダの思いは奇妙な出来事によって打ち砕かれるのです。すでにミディアン人がヨセフを穴から引き上げ、イシュマエル人に売り飛ばしていました。この行為からヨセフがエジプトに向かうという、ヨセフ物語を進ませていくのです。兄たちの計画は思わぬ出来事によって計画通りには行かなくされていきました。ヨセフは兄たちに捕まえられ、晴れ着をはぎ取られ、何もない穴に入れられながらも、人間の思いを超えた導きによって、兄たちの手から逃げ出していくのです。
5 ルベンと兄弟たちの反応
ルベンはこの出来事を知り、自分の衣を裂き、「あの子がいない。わたしは、このわたしは、どうしたらいいのか」と言った。(30)のです。ルベンの驚き、恐れと比べると、ほかの兄弟たちは、すぐに「着物を拾い上げ、雄山羊を殺してその血に着物を浸した。」(31)そして偽装工作をして、父のもとに晴れ着を送り届けたのです。ルベンの言葉は「わたし」という言葉が2回も出てくることから、ヨセフの身を案じたというよりは、自分自身の年長者、責任者としての恐れの言葉ではなかったかと感じられる。ルベンはどうしたらいいのかわからなくなってしまったのです。人間の闇のうちにあっても、自分の計画を実行しようとしていたルベンの思いはまったくうまくいかなかった。そしてそれは闇に飲み込まれていったのです。そしてほかの兄弟たちは、すぐに偽装工作をはじめ、すべての判断を父に押し付ける形をとったのです。
「兄弟たちはヨセフの着物を拾い上げ、雄山羊を殺してその血に着物を浸した。彼らはそれから、裾の長い晴れ着を父のもとへ送り届け、「これを見つけましたが、あなたの息子の着物かどうか、お調べになってください」と言わせた。」(31-32)
6 ヤコブの嘆き
父は、それを調べて言った。「あの子の着物だ。野獣に食われたのだ。ああ、ヨセフはかみ裂かれてしまったのだ。」ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、幾日もその子のために嘆き悲しんだ。息子や娘たちが皆やって来て、慰めようとしたが、ヤコブは慰められることを拒んだ。「ああ、わたしもあの子のところへ、嘆きながら陰府へ下って行こう。」父はこう言って、ヨセフのために泣いた。(33-35)
ここには偏愛から抜け出すことができないヤコブの姿が示されています。それと同時に、ヨセフに示された夢が閉ざされたのです。ヤコブにとっては、愛する対象が失われ、希望の道である夢が失われたのです。ここには偏愛ながらも愛する者を失った者の姿が映し出されているのです。ヤコブはヨセフを愛していた。そのヨセフの死はどのような慰めも、慰めとはならなかったのです。ヤコブは慰められることを拒みました。これが愛する者の死に出会った時の現実かもしれません。嘆きに慰めは与えられる。しかしそれを受け入れるには長い長い時間が必要なのです。これがヤコブの気持ちでしょう。
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