1: ザカリアとエリサベト
今日の箇所では、ザカリアとエリサベトが中心人物として登場します。ザカリアとエリサベトは、非の打ち所のない人物でありました。しかし二人には子どもがいなかったのです。当時ユダヤの社会において、子どもがいないということは、女性の罪のためと考えられていました。ザカリアとエリサベトは「罪ある者」とみなされていたのです。
2: 希望を持つことのできない現実
ザカリアはユダヤの祭司です。ザカリアは神様に礼拝をしていました。しかしこの時のザカリアの気持ちは希望にあふれてはいなかったでしょう。神様の御前に立つとき、礼拝するとき、お祈りするとき、讃美するとき、本来ならば希望にあふれていてもいいはずの時です。しかし、礼拝を喜べない。神様の前に立つ時になっても、現実の困難によって希望を持つことができないときがあるのではないでしょうか。
3: 困難の中で知る福音
この告知は、まさにザカリアの願いであった、子どもが与えられるという告知でありました。これは希望を持つことができない人間に、神様が希望を与えられたという出来事なのです。神様は絶望のうちに希望を与えられました。神様がザカリアに与えたものは希望です。
ザカリアは、口が利けなくなるという困難に入れられました。困難の中、苦しみの中にあって、神様は、私たちに自分の弱さを示されます。私たちはこの弱さの中でこそ、イエス・キリストが共にいてくださることに気づかされるのではないでしょうか。イエス・キリストは、私たちの困難、苦しみの中に来てくださったのです。イエス・キリストは、私たちの苦しみを共に担い、私たちを、背負ってくださっているのです。
4: 礼拝の中で知る福音
神様の希望は、何もないところから突然生まれたものではありませんでした。神様の希望は礼拝の中で与えられました。わたしたちは絶望しても礼拝を続けたい。むしろ困難に出会ったときこそ、祈りたいと思います。いつでも神様は私たちと共にいて、働かれます。愛してくださっているのです。私たちはこの神様の愛を、日々の祈り、日々の礼拝の中で覚える者となりたいと思います。
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