1: 現代の人間関係
現在、個人の大切さを主張するということが、いつの間にか、自分のわがままを言い通す言葉になってしまってきています。自分の問題には干渉されたくないし、他者の誰の問題にも干渉しない。自分のことだけ考える。そのような社会を象徴した言葉が「自己責任」や「孤独死」です。これが私たちの生きている社会です。そのような私たちに聖書は「足を踏み外した人」に目を向けなさい、そのような人のことを自分のこととして担いなさいと、私たちにメッセージを送っているのです。
2: 互いに重荷を担いなさい
聖書は「互いに重荷を担いなさい。」(2)と教えます。私たちが互いに重荷を担うということは、他者の痛みを知り、相手の思いを聞くことであります。そして同時に自分の弱さや欠点を知ってもらうことです。「聞く」ということは、大切な奉仕の一つです。他者の思いを「聞く」。他者の痛みを聞くのです。「聞く」ことは、話してくれる人がいなければできないことです。心を開いて話してくれなければ「聞く」ことはできないのです。
3: キリストに担われている
イエス・キリストは苦しんでいる人の隣を歩くため、痛みを持っている人の痛みを担うために、この世に来られました。イエス・キリストの十字架は私たちの痛みを知るために起こされた、神様の決断です。まったくの他者として、足を踏み外していく人間を愛していこう、その重荷を担おうと決心されたのです。私たちは、この神様の愛を基として他者と共に生きる一歩を踏み出すのです。わたしたちは孤独ではなく、キリストの愛に包まれているのです。だからこそ私たちは、お互いに、誰かのために耳を傾け、話を聞き、関係を作るのです。
4: 重荷を担っていただいた者として
私たちは、キリストによる愛をいただいきました。私たちはすでに、キリストによって、重荷を担っていただいたのです。私たちの心を知っていただいたのです。だからこそ、私たちには、キリストが共にいてくださるという恵みを、喜び、伝える責任があるのです。神様の愛の大きさを知った喜びを伝える使命を受けているのです。わたしたちは、この使命を受けて生きていきましょう。
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