1: 過ぎ越しの食事
この過ぎ越しの時と除酵祭について少し説明をします。「過越祭」は、イスラエルの民にとっては奴隷からの脱出の時であり、救いの時でした。動物の犠牲、その血を柱に塗ることによって、イスラエルの民は救い出されたのです。これが「過越祭」です。そして「除酵祭」は、「過越祭」に続く7日間のお祭りで、エジプトからの脱出を祝い、パン種をいれないパンをつくったのでした。エジプトからの脱出のとき、ぐずぐずパンを焼いている時間もなかったので、パンの種を抜いて食べたことから、神様の救いを忘れないために、パン種を抜いたパンを7日間いただきお祝いしたのです。このお祭りの時に、イエス様は過ぎ越しの食事をとるための準備をします。
2: 過ぎ越しの準備
イエス様は「都に行きなさい」と言いました。弟子たちはイエス様の言葉に従い、エルサレムに向かいました。そしてそこにはイエス様が言われたとおりの出来事があったのです。この時、弟子たちのだれが、この食事がイエス様の十字架への道だと思っていたでしょうか。自分たちがイエス様に言われたとおりに、信じて従っていくことが、イエス様が神様に捧げられる小羊としての道を歩んでいると思っていたでしょうか。
3: ユダの裏切り
マルコではユダの裏切りは、神様の御言葉の実現、神様の御心の業が成就した出来事の一つとして、ユダの裏切りを伝えるのです。今日の箇所では、過ぎ越しの食事の準備においても、また、ユダの裏切りについても、このイエス様の御言葉が成就していくことを見ることができるのです。ここでは神様の御心の成就、その主権性を見ることができるのです。すべての道において、神様の支配があり、神様の導き、神様の御心があるのです。
4: 呪いから祝福へ
イエス様は弟子の裏切りを通して、十字架の道を進むのです。裏切りは関係を破壊する行為であり、呪いの行為です。神様は十字架を通して人間に救いを与えたのです。呪いの行為を、祝福に変えてくださった。それがイエス・キリストの十字架の出来事です。私たちは弱く、小さい人間です。その象徴的存在、それがイエス様を裏切ったユダの姿ではないでしょうか。そのような人間のところに来て、一緒に歩むことを決められた方、私たちと共に生きる決心をされた方、それがイエス・キリストです。
今、わたしたちは心の扉を開きましょう。裏切られる恐怖、裏切ってしまう弱さをも受け入れてくださる方がいるのです。何度でも心の扉を開きましょう。
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