1: イザヤ書
イザヤ書はイスラエルにとってとても厳しい状況のときでした。バビロン捕囚という、イスラエルの国はバビロンに破壊され、すべてが取り壊されたうえに、土地が奪われ、人々が捕虜として連れて行かれたという悲しみの出来事が起こった時なのです。イスラエルの人々は、バビロン捕囚という大きな困難にぶつかる中で、神様を見失いかけていたのです。
そこに現れたのが、ペルシアの国の王さまキュロスです。ペルシアの王キュロスを、神様は用いて選んだのです。神様はそのようにしてイスラエルの民を守られたのです。キュロス王には、そのような象徴的な意味、救い主という意味が示されたのでした。
2: 山々が平らになる時
イスラエルの人々はバビロンにあって、困難を極めていました。イスラエルの人々は、バビロンでの生活に、希望を見出すことが出来なかった。それが一番の困難の原因でしょう。私たちは生活の中で、何に希望を向けているでしょうか。
聖書が言ったのは、私たちが頑張って山を乗り越えることではありません。そうではなく、山が平らになる時がくると教えるのです。どうすることもできない困難に出会っているときに、私たちはどうすればいいのでしょうか。絶望に打ちひしがれるしかないのでしょうか。希望の神様は山をも平らにされるというのです。私たちは、山が平らになる時を信じましょう。
3: わたしがあなたを選んだ
聖書は、「あなたは知らなかった」と語っています。私たちは知らないのでしょう。私たちは忘れてしまっているのです。神様が私たちを愛して、私たちを選び取り、私たちの目の前の困難から必ず助けてくださるということを。自分の力が限界にきた時に、「もう、だめだ」と思ったときに、神様が見えるのかもしれません。神様の愛を信じてみて歩み始めるときに、人生が変わり始めるのです。
4: すべての創造主
「光を造り、闇を創造し、平和をもたらし、災いを創造する者。」私たちの神様は、光を造られた神様です。そして同時に闇も造られたのです。神様は平和を造られ、同時に災いも造られた。それが私たちの神様なのです。私たちの前の困難も、その闇も、その災いも、創造主なる神様が造られているのです。それは、私たちが神様の愛を知るために、私たちが神様に出会い、本当の愛をいただくために、そして、イエス・キリストが共に歩んでくださっていることを知るためにです。私たちの人生の希望、生活の解放はイエス・キリストにあります。私たちはイエス・キリストから力を受けて生きていきましょう。
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