1 兄たちをエジプトに送る
ヤコブは息子たち10人をエジプトに向かわせます。飢饉は世界各地に及び、世界各地の人々がエジプトにやってくるようになっていたのです。ヨセフはエジプトで夢を解き明かし、地位を得ていきました。ファラオの夢からのヨセフの預言は成就していくのです。7年の大豊作が続き、その後に7年の飢饉が始まったのです。飢饉の中にあってエジプトでは食料がありました。ヨセフによってエジプトだけではなく、世界の人々が守られるのです。そのなかにあって、ヤコブも食料を得るために、息子をエジプトに送ります.。
「ヤコブは、エジプトに穀物があると知って、息子たちに、「どうしてお前たちは顔を見合わせてばかりいるのだ」と言い、更に、「聞くところでは、エジプトには穀物があるというではないか。エジプトへ下って行って穀物を買ってきなさい。そうすれば、我々は死なずに生き延びることができるではないか」と言った。」(42:1-2)
「お前たちは顔を見合わせてばかりいるのだ」という言葉には「躊躇しているのか」「恐れるのか」という訳もあります。ヤコブはエジプトに行くことを恐れ、躊躇する息子たちに恐れずに行きなさいと言うのです。ヤコブの言葉によってエジプトに向かったのは、ヤコブの息子の10人、ヨセフとベニヤミンの兄たちでした。ヤコブは、兄たちがヨセフを帰らせなかったと思っていたわけではないと思いますが、それでもヨセフのように、ベニヤミンに何かが起こってはいけないと思ったのでしょう。「何か不幸なこと」、つまり「死ぬような事故」が起こってはいけないと思ったのです。食料を得るために「恐れるな」「躊躇するな」と兄たちに言ったヤコブが。兄たちを送り、ベニヤミンを送らなかった。確かに死んだとされるヨセフと同じ母ラケルの息子ベニヤミンです。ここにもヤコブの偏愛を見ることができます。「躊躇するな」と言いながら、ベニヤミンは残すのです。
このベニヤミンだけを残したことによって、こらかの物語におけるベニヤミンの意味が整えられていくのです。
2 ヨセフにひれ伏す
兄たちは、エジプトに向かいました。「他の人々に混じって穀物を買いに出かけた」(5)とあるように、多くの人々がエジプトに来ていた。その多くの人々に混ざってきたのです。その兄たちを見て、ヨセフは一目で兄たちと気づいたのです。ヨセフはすぐに気が付きましたが、兄たちはヨセフに気付かなったのです。兄たちはヨセフに気付かず、エジプトの高官に礼をつくすためにひれ伏します。これはヨセフが以前見た、夢の実現でもありました。
兄たちは、ヨセフに気が付きませんでした。何年の年月がたっていたのでしょうか。兄たちの中では、殺そうと思っていたが、それをやめて売り飛ばそうとしていた、そんな中でヨセフはどこかへ行ってしまったのです。そして、父には死んだものとして伝えました。もはや兄たちにとってヨセフは死んだ者、その存在はないものとされていたのです。
そのような者に気が付くはずがない。むしろありえないこととして考えてもいなかったでしょう。ヨセフは死んだと考えていた。そしてそれは勘違いであり、兄たちはそのヨセフにひれ伏しているのです。
3 気が付いたヨセフの行為
兄たちだと気づいていたヨセフは、その兄たちにすぐに兄弟だと伝えるのではなく、ここからヨセフは厳しい態度となっていくのです。ヨセフは「お前たちは回し者だ。この国の手薄な所を探りに来たにちがいない。」(9)と言いました。世界中で唯一食料を持っている国、エジプトの責任者です。そのために、スパイなど、国家を危ない状態にさらす者には厳しい態度になるのでしょう。ヨセフは、この者たちが兄たちであることを知っていながら、「回し者」として厳しい態度をもって対応したのです。
兄たちは、何度も自分たちが正直な者で、回し者ではないと言います。兄たちは自分たちの素性を示すために「僕どもは、本当に十二人兄弟で、カナン地方に住むある男の息子たちでございます。末の弟は、今、父のもとにおりますが、もう一人は失いました。」(13)と言います。兄たちは「末の弟」がいることを言ってしまったのです。この弁明では、自分たちが正しいことは「弟」を連れてくることによってしか示せないのです。ヨセフは、この「末の弟」を連れてくるように求めます。
ここで、ヨセフは三日間監獄で監禁します。この三日間は、ヨセフが兄弟に与えた決断のための時間でした。兄たちは、三日間で何を考えたでしょうか。誰が父のもとに帰るのか。ベニヤミンを連れてくるか。どうやってベニヤミンを連れてくるのか。どのようにして、父ヤコブを説得するのか。
三日後には、ヨセフはこのように言います。「こうすれば、お前たちの命を助けてやろう。私は神を恐れるものだ。お前たちが本当に正直な人間だというのなら、兄弟のうち一人だけを牢獄に監禁するから、ほかの者は皆、飢えているお前たちの家族のために穀物を持って帰り、末の弟をここへ連れて来い。そうして、お前たちの言い分が確かめられたら、殺されはしない。」(18-20)
ヨセフは「私は神を恐れるものだ。」と言いました。そして、もともと一人だけ帰らせると言っていたのが、一人だけ残すと緩和されるのです。兄たちはこの言葉に同意したのです。
4 兄たちの罪意識
「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ。弟が我々に助けを求めたとき、あれほどの苦しみを見ながら、耳を貸そうともしなかった。それで、この苦しみが我々にふりかかった。」(21)
兄たちはこのように、ヨセフのことを後悔したのです。ヨセフの出来事によって、このように罰を受けていると。そしてある意味で、それは当たっているのです。そのような中で、ルベンは「あのときわたしは、『あの子に悪いことをするな』と言ったではないか。お前たちは耳を貸そうともしなかった。だから、あの子の血の報いを受けるのだ。」(22)と言いました。まるで自分に罪はなかったというようです。
確かにルベンはヨセフの命を救おうとしたのです。しかし、兄弟たちには「お前たちは耳を貸そうともしなかった」と言いますが、ルベンの提案は兄弟に聞き入れられていました。そして、その後のユダの提案もあり、殺すのはやめようとなっていたのです。ルベンはヨセフを助けようとしました。そしてそれはほかの兄弟にも同様にあった思いなのでしょう。ルベンは自分には罪はないと思い、ほかの兄弟たちは、自分たちに罪があることを認めたのです。
5 ヨセフの思いと兄たちの思い
シメオンはルベンに次ぐ二番目の兄です。1番目は指揮をとる者として必要であり、その次に大切な者を縛り上げたのです。ヨセフは泣き、そして兄たちの袋に穀物を詰め、支払った銀を袋に返し、また、帰り道のための食料までも与えたのです。ヨセフは兄たちにできるだけの配慮をしたのです。これがヨセフの思いでした。兄を助け、父を助けたい。そのために自分は使わされてきたと感じたのでしょうか。しかし、兄たちはその銀を見て言いました。「戻されているぞ、わたしの銀が。ほら、わたしの袋の中に。」「これは一体、どういうことだ。神が我々になさったことは。」(28)兄たちは、理解できないことに恐れ、不安を感じているのです。そのなかでも「神が我々になさったことは。」と、それは不運な道ではないと感じているのです。
兄たちは何も知りません。エジプトの高官がヨセフであることも、この出来事がヨセフによることであることも。しかし、ヨセフはすべてを知っています。そしてこれからの話につながるのです。
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