1: 闇の中での出来事
イエス様はイスカリオテのユダに裏切られ、捕えられ、弟子たちは逃げていったのです。これは確かに闇の出来事でした。時間は夜中。闇に包まれた中でこの出来事は起こっていったのでした。イエス様が捕えられるという出来事は光のない出来事として闇に包まれた中で行われていったのです。祭司長たちや律法学者たちは民衆を恐れていました。彼らの行動は、恐れから始まっていました。彼らは民衆から尊敬され、地位を持つものたちでありました。だからこそ、イエス様の言葉と、力ある業によって、自分たちの地位が奪われるのではないかと恐れていたのです。彼らは、イエス様を恐れていた、そして民衆を恐れていた。しかし彼らは神様を畏れてはいなかったのです。
2: 闇の中に光る神様の計画
闇のうちの出来事のうちに起った出来事は、神様のご計画としてなされていったのです。人間の作り出していく闇のうちに、十字架という神様の愛の道が作られていたのです。人間の闇は深いものです。わたしたちも、憎む人や出来事、絶対赦したくないこと、受け入れられない闇の出来事が一つはあるのではないでしょうか。そしてその最大の闇は、人間が人間を打ち殺すということ、その存在を否定することです。イエス・キリストの十字架という、神様の愛の出来事は、そのような深い闇の心のうちに起こされ、その闇を愛に変えていくという出来事なのです。
3: 逃げ出した者
今日の箇所では、イエス様が捕えられる中で逃げ出していく弟子たちの姿、また一人の若者の姿を教えるのです。イエス様が捕えられていく場面で、弟子たちは「イエスを見捨てて逃げ出してしまった」のです。弟子たちは逃げ出しました。しかし、それは自分の心の中にイエス様を迎え入れる準備の出来事となっていったのです。自分の心のうちにある、本当の弱さ、みじめな姿に目を向けた時に、弟子たちは、本当にイエス・キリストを必要としたのです。自分たちが帰るべき場所を必要としたのでした。
4: 弟子たちによって作られた教会
教会は、神様から逃げ出し、神様など知らないと言った弟子たちが、もう一度神様の前に帰ってきて集まり、始まりました。教会は主を土台とした者たちの集まりです。
私たちに何ができるでしょうか。それは、私たちには何もできないということを知り、認めるところから始まるのだと思います。私たちができることは、イエス様の働きを信じること。神様のご計画を信じていくことが、わたしたちにできること、そして与えられた希望です。
私たちは神様の愛を心の中心に受け止めて進んでいきましょう。神様の憐れみを土台として、教会を作りあげていきましょう。
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