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2016.5.22 「あなたにとってのイエスとは」 (要約) マルコによる福音書15:1-5

1:  相談した後に・・・

 今日の箇所1節において、祭司長たち、長老や律法学者たち、つまり最高法院全体が相談をしてイエス様をローマの総督ピラトに引き渡した姿が記されています。マルコによる福音書においては、イエス様の死に対して、ユダヤ人と異邦人が共犯者であるということを強調しているのです。つまり、すべての人間によるものであったということです。それは今を生きる、私たちも例外なく、すべての人間がイエス様を十字架に付けていったことを表すのです。

 

2:  ピラトの問いとイエス様の答え

 ピラトの「お前がユダヤ人の王なのか」という質問に対して、イエス様は、「それは、あなたが言っていることです」と答えられました。イエス様の言葉は、質問者ピラトに答えを委ねたとも考えられる不明瞭な言葉となっているのです。イエス様の不明瞭な答えは、わたしたちに問うのです。「あなたにとってイエスとはだれなのか」。「あなたにとってどのような意味を持つものとなっているのか」。

 

3:  積極的、消極的加害者

 祭司長たちはイエス様を訴え続けます。祭司長たち、ユダヤ人はイエス様を殺そうと、どうにか考え、働き、行動していたのです。それに対して、ローマの総督ピラトはどちらかというとイエス様の十字架に対して積極的に働いているようには見えないのです。ここにわたしたちは積極的な加害者としての姿と、消極的な加害者という姿について考えさせられます。ピラトはイエス様を見捨てたのです。

 私たちが、だれかにきちんと関わることは痛みを伴うことです。誰かのために生きることは、それほど簡単なことではないでしょう。それは必ず痛みを伴う行為となるのです。神様が示されたのは、痛みを伴い、命を犠牲とされた愛の行為なのです。神様は、私たちのことを見捨てはしなかった。私たちを愛し、関わる者となってくださったのです。

 

4:  イエス様の沈黙

 主イエスは沈黙されたのです。人間の積極的な罪の姿、そして消極的でも隣人を見捨てていく、人間の弱さに沈黙されます。これはイエス・キリストの私たちに対する「問いかけ」ではないでしょうか。イエス様は沈黙をもって、私たちに「あなたが愛するのは、だれなのか」と問いかけます。わたしたちは今、このイエス・キリストの沈黙が問いかける、問いにどのように答えるのか、共に考えたいと思います。