今朝は神の天地創造の物語の第2日目と第3日目を味わってみましょう。特に、種を持つ草木の存在について驚きと感謝をもって考えてみましょう。
1.「分けること」
6節には、「神は言われた。『水の中に大空あれ。水と水を分けよ』と言われています。人間にとって「分けること」つまり、「分別」(ふんべつ)は知恵の始まりです。年齢によってクラス分けしたり、色によって分けたり、性別によって分けたりします。種類によって分別(ぶんべつ)します。このような人間の知恵は、どこか神の知恵に通じるものがあるのでしょう。
2.大空の創造
「神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた」。古代の信仰者たちは、地球には、半球状の、つまり、ヤフオクドームのような固くて透明なドームの覆いがあると考えていたようです。このドームの上にも水があり、ドームの窓というか扉というか、それが開けると雨が降ってくると考えました。神は、職人、芸術家のように、直接、大空の造形に携わるのです。人の生活はちょっとの長雨で混乱させられ、日照りで雨渇水や干ばつとなります。信仰者は自らの弱さ、小ささを自覚し、また、神が大空ドームによって雨を調節して下さっていることに感謝したのです。
3.海と陸を分けること
次に、「神は言われた。天の下の水は一つ所に集まれ。乾いたところが現れよ」。重要なことは、神が海と陸の境界を設定しているという信仰です。詩編104:9では「あなたは境を置き、水に越えることを禁じ、再び地を覆うことを禁じられた」と言い、5:22には、「わたしは砂浜を海の境とした。これは永遠の定め それを越えることはできない。波が荒れ狂っても、それを侵しえず、とどろいても、それを越えることはできない」と語ります。人がよほど注意して贅沢な生活をコントロールしないと、海と陸地の境界線の変化によって人が生活できなくなることも起こるのです。
4.種を持つ草と、種を持つ実をつける果樹
11節には、「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ」とあります。なんと不思議で、喜びに満ちた言葉でしょうか。残った種を播くとそこからまた、三十倍、六十倍、百倍もの実りが約束されているのです。桃でも梨でも柿でも美味しくいただき、種をプイと捨てるとあら不思議、そこから、またまた豊かな果樹が取れるのです。人間が造りだすもので、これほど素晴らしいものがあるでしょうか?私たちは、種を生じる持続可能な環境の豊かさを忘れ、思い上がって自分で自分の首を絞めないように、古代の信仰者からもっと学ぶ必要があるでしょう。草木は人がいなくても存在可能ですが、人は種を産み出す草木なしでは生きることはできないのです。もっと謙虚に生きること、足りて満足すること、少し足りなくても隣人のために我慢することを学ぶべきでしょう。(松見 俊)
コメントをお書きください