1.都に上る~サマリヤを通って帰る
43節「二日後、イエスはそこを出発してガリラヤへ行かれた。」ガリラヤはイエス様の育った故郷です。イエス様はこのガリラヤを離れてユダヤ地方のエルサレムまで弟子たちと一緒に向かいます。2章13節に「ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた」と記されています。都会へ行くことを、“上る”と表現する感覚が聖書時代のイスラエルにもあったというのは面白いと思います。そしてイエス様はサマリヤを通って、サマリヤの女性との遭遇(やりとり)を経て、故郷ガリラヤに戻ってきます。
2.故郷で歓迎されない
44節で「イエスは自ら、『預言者は自分の故郷では敬われないものだ』とはっきり言われたことがある」といいます。このイエス様の言葉は四福音書全てに記されています。
「故郷に錦を飾る」ということわざがあります。故郷を離れて別の場所(都会)で成功して再び故郷へ帰って来るということです。この時ガリラヤの人々がイエス様を歓迎したのには理由があります。人々は、都で高い評価を受けた自分たちの同郷人(イエス様)を歓迎したのです。しかしここで人々はイエス様の何を歓迎したのでしょうか。ここではイエス様がなさった奇跡的な行為、その見た目の派手さやエルサレムの人々の評判、という“外面的なこと”に人々は喜んだのです。
3.イエス様の言葉を信じる
カファルナウムに王の役人がおり、彼の息子が深刻な病気でした。彼がカナまでやってきてイエス様に助けを求めます。カファルナウムからカナまでの距離ですが、これは約40キロあります。“下って来て”と一言で言うには相当の距離です。
イエス様は「あなたの息子は生きる」と言いました。すると「その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って言った。」“あなたの息子は生きる”、というイエス様が彼に直接語った言葉を、この役人は信じたのです。神を信じる者は本当の意味で生きる、というのがヨハネの中心メッセージです。主の言葉を聞いて信じるものは永遠の命を得る。主の言葉、聖書の御言葉には、私たちを信じる者に変える力があります。私たちは聖書の御言葉を聞いて信じて、本当の意味で生きる者となるのです。
4.信仰は拡がる
信仰が彼一人から彼の家族へと拡がっていきました。信仰は、拡がっていくべきもの、信じた私たちは自らの信仰を拡めて伝道していくもの、という事が描かれます。
54節「これはイエスがユダヤからガリラヤに来てなされた、二回目のしるしである。」これが2回目の奇跡。「あなたの息子は生きる」というイエス様の御言葉を彼が信じて40キロの道のりを再び帰っていった。そして彼と彼の家族も主を信じる者に変えられた、そのような出来事全体がここでの“しるし(奇跡)”と言ってもよいのではと思います。
日々聖書の御言葉を私たちが聞き、これこそ神の言葉という確信を私たちが持つことができ、日々生きるのに必要な励ましを受けること、生きる力を得ること、それはまさに偉大な奇跡です。御言葉に感謝しつつ、御言葉に生かされていきたいと思います。(酒井朋宏)
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