1: 十字架上での言葉
イエス様は十字架上で死ぬ前に、いくつかの言葉を発しています。ルカによる福音書では、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」、最後に「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」と叫ばれました。また、ヨハネによる福音書では、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」。「見なさい。あなたの母です。」「渇く」、そして「成し遂げられた」と語られて息を引き取るのです。
マルコによる福音書、マタイによる福音書。二つの福音書においてイエス様が語られる言葉は同じ言葉でありました。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」。イエス様は、最後は弱さのうちに死んでいかれたのです。
2: 神様への叫び
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」。この叫びが、まさに人々の耳から、離れないでいつまでも響いていたのです。私たちは、この言葉から、イエス・キリストの勝利を感じるでしょうか。むしろ心の苦しみを、その叫びを感じ取るのではないでしょうか。イエス・キリストは心の底から、神様に向かって「なぜですか。どうしてですか。」と叫ばれているのです。
この叫びを耳にした人々は、この言葉を忘れることができなかったのです。特に一番最初に福音書を記していったマルコは、この言葉を、イエス・キリストの唯一の言葉として記したのです。
3: 神の子と告白する
イエス・キリストのことを「本当に神の子だった」と告白する人が現れます。それは、異邦人であるローマの百人隊長がイエス様を「神の子と」告白するのです。イエス・キリストの叫びは、本来、敗北であり、弱さであり、「神の子」と告白する部分など、見当たらないはずです。しかし、このイエス・キリストの叫びが、ローマの百人隊長の心を動かしたのです。イエス・キリストの敗北とも見える姿、弱さに徹底して、従い、その中で、「わが神、わが神、」と祈る、その姿によって、百人隊長は変えられていくのです。キリストの叫びこそが、私たちのかたくなな心を打ち砕くのです。
4: 頑なな心を打ち砕く
キリストの叫びは、私たちのかたくなな心を打ち砕きます。神殿の垂れ幕は、神殿の一番奥にある「至聖所」という場所の前に掛かっていたものでした。「至聖所」に入れるのは祭司のみであり、ここで祭司が神様に執り成しをします。イエス・キリストの十字架は、神様と人間との隔たりを取り払ってくださったのです。私たちは、最初の信仰告白者であるローマの百人隊長に倣い、「イエス・キリストこそが、神様の子である」と告白していきたいと思います。
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