1: 墓に葬られた方
イエスは死なれ、墓に葬られていきます。わたしたちはこのあとの16章における復活の出来事を知っていますので、この時が復活のための出来事だと考えるでしょう。しかし、実際その場にいたアリマタヤのヨセフにとって、ここは希望のもてる場面であったのでしょうか。
2: アリマタヤのヨセフ
「アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフ」がイエス様を墓へ納めます。「身分の高い議員」とはユダヤの最高法院の一人であったと考えられます。最高法院は「イエスは神を冒涜する者であり、死ぬべきだ」と決定した機関です。アリマタヤのヨセフは裁判の時に「イエスは死ぬべきだ」という強い意見に押し切られたのです。そのような者が、ここで勇気をだして、イエス様の遺体を渡してもらうようにとお願いするのです。このような勇気はどこからでてきたのでしょうか。
3: 勇気を出して踏み出す
ヨセフは十字架刑を下したピラトのもとに、目の前でイエス様を十字架に架けていったローマ兵のもとに行ったのです。最高法院の人々の圧力に負けていたヨセフが、勇気をだして一歩前に踏み出していったのです。ここに、本当の信仰を見ることができるのではないでしょうか。
神様は、そのすべての時に、わたしたちと共にいてくださるのです。ヨセフは勇気を出して踏み出しました。それは、神様が共にいてくださっていることを信じた一歩です。そして勇気を出して踏み出したからこそ、神様が共にいてくださることを確信したのです。
4: 共に苦しみ共に喜ぶ
今年度の私たちバプテスト東福岡教会の標語は「キリストの体としての教会~共に苦しみ共に喜ぶ~」となっています。わたしたちも勇気を出して踏み出しましょう。今、隣にいる人のことをどれだけ知っているでしょうか。自分の悲しみや喜びを、どれだけ隣の人に語って、共に祈ってもらおうとしているでしょうか。
自分の見苦しいところ、恰好が悪いと思うところを隠してはいないでしょうか。神様は、そのような部分こそを用いてくださるのです。共に苦しみ、共に喜ぶためには、弱いところを必要としているのです。共に苦しみ、共に喜ぶものとして勇気をもって一歩踏み出しましょう。そこには必ず、神様の計画としての新しい命があるのです。
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