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2016.9.11 「白髪は栄の冠である」 (要約) 箴言16:31、20:29

 私たちの社会は超高齢社会を迎えています。教会もまた例外ではありません。認知症や「老々介護」などと課題も多いです。そこで、老いるということをどの様に受け止めていくかを聖書に聴きたいと思います。

 

1.「白髪は輝く冠である」

 選びましたテキストは、箴言16:31、そして、20:29です。そこには、「しらがは栄えの冠である。正しく生きることによってそれが得られる」と宣言されています。新共同訳では、「白髪は輝く冠である。神に従う道に見出される」と翻訳されています。白髪は「衰え」のしるしである、「生産力・労働力の欠如」によって社会的価値がなくなったしるしである、記憶力の後退と諦めのしるしであると考えていませんか?しかし、「輝く冠である」と言います。

 

2.比較を超えて

 高齢者は「力」で若者と張り合いません。何かを失うのは、何か別の他のものを得ることです。つまらない比較、競い合いから自由に生きるのです。もし競い合うのであれば、「怒りを遅くすること」で、「自分の心を治めること」で、勝負するのです。

 

3.「信仰」=「正しく生きること」

 しかし、人間年を取ると丸くなり、円満になると考える訳にはいきません。老いはそのままで人格の完成を保証しないのです。かえって、堪え性がなくなり、教育や社会的地位などで押さえ込んでいた、心の奥に潜んでいた地金が出てきて、頑固になることはないでしょうか?豊富な経験はその経験の線上に乗らないものを受け入れにくくしないでしょうか?み言葉は語ります。「正しく生きること」、「神に従うこと」でそれが得られると。

 

4.親の介護と兄弟姉妹の支え合い

 老いた親の介護は、これは言葉にならないほど大変なことでしょう。私たちは自分だけでは負うことはできません。ですから、祈って支えあうこと、何かできれば教会の交わりの中でささやかな支援をし合うこと、愚痴を聞いてあげること、自分の限界を超えて、難しい時には、他者に委ねることもまた赦されていることを認め合いたいものです。彼らの冠は「力」ではないのですから。(松見 俊)