1 ヤコブの死 だれが相続するのか
ヤコブは主の御許へと召されていきます。48章、49章において、祝福が語られました。この祝福は神様からいただいた約束の相続権が、ヨセフ、そしてその子、エフライムとマナセにあることを公にしたのです。また、ヤコブはヨセフに誓いを求めている出来事を、ここではすべての息子たちに命令として語るのです。この態度の違いは家族の中で、ヨセフとそのほかの息子たちとの地位の違いを表します。
2 信仰の継承と所有権の主張
今日の箇所は、ヤコブの遺言として語られた47章よりも細かく記されています。ここでは明確に、「アブラハムから受け継ぐ信仰」と、また「土地の所有権」の主張を見ることができるのです。
ヤコブの人生は、兄エサウからその祝福を奪い取るところから始まりました。ヤコブの姿から感じるのは、人間の弱さ、ずる賢さと、それでも神様は離れないということ、そしてその神様に向かい続けていく姿「信仰」ではないでしょうか。
ヤコブの指示はアブラハムから受け継がれた土地の所有権を主張する言葉として見ることができます。約束の地カナンは神様より与えられた土地であるという主張です。そこにイスラエルは立ち返るということを、示唆している言葉として受け取ることができるのです。
3 エジプト式埋葬
ヤコブの埋葬はエジプト式で行われました。ヤコブをミイラ化した一つの目的は、ヤコブをマクペラの地まで運ぶことです。遺体をミイラ化するという風習は、もともとは、砂漠で自然にミイラ化した遺体を目にしたことから始まったとされます。それがエジプトの宗教的考えから、死後の世界での暮らしに備えることを目的としていました。エジプトでは、ミイラ状態にしておけば、死後、魂が肉体から離れていかない、また魂がその肉体に戻ってくると考えていたようです。
4 エジプトに染まらないために
エジプト方式で埋葬されたことと、それでも、場所は先祖からの場所に埋葬させたこと、この物語を読むときに、この世との信仰の戦いを見るのです。
葬儀はエジプトの力が表される葬儀となっていました。ヤコブの葬儀はエジプトの権力を表し、エジプト式にミイラ化され、エジプトのものとして、葬儀が行われたとみることができるのです。
しかし、葬儀はエジプト流の葬儀で終わりませんでした。エジプト式の葬儀を終えてから、そこからヤコブはカナンの地に運ばれ、マクペラの洞穴に葬られたのです。まさにエジプトの壮大な力と、イスラエルの信仰が錯綜する場面です。
5 死ぬこと 生きること
死を前にしてヤコブは神様の約束を信じたのでした。神様との約束に希望を置いたのです。わたしたちは死を前にしたときに何を思うでしょうか。ヤコブはエジプトというこの世において、ただ神様により頼むものとして死んでいきました。これがヤコブの示した、死に方であり、生き方でしょう。ヤコブの死の姿から、一日一日に生きている意味を考えたいと思います。そして希望をもって、新しい日を迎えていきましょう。
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