1: 頑なな心
イエス・キリストは十字架の上で死に復活されました。イエス様が復活なされたことを弟子たちは信じませんでした。今日の箇所も含め9節からの言葉は、もともとマルコによる福音書にあった言葉ではなく、後に付け加えられたと考えられています。わざわざ付け加えたこの箇所において、信じなかった弟子たちの姿が記されています。復活を信じない弟子の頑なな心が記されているのです。
神の御許に召された信仰の先輩方も神様の御言葉を聞いたのです。頑なな心となる中にあって主の御言葉を聞いたのです。そして頑なな心を開いて、主の御言葉に耳を傾けたのです。
2: 宣べ伝えよ
復活の主イエス・キリストは、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」と教えます。頑なになり、心を閉ざしていた者に対して、御言葉を宣べ伝えなさいと教えるのです。これがイエス・キリストの宣教命令です。「聞いて、信じなさい」と言われた方は、続けて「語り伝えよ」と勧められるのです。「イエス・キリストの十字架の贖いによって救い出された。この喜びの知らせを宣べ伝えよ!!」と教えられているのです。
3: しるし
イエス様はこの言葉を聞いて、信じる者にはしるしが伴うと教えます。「悪霊を追い出し」「手で蛇をつかみ」「毒を飲んでも害を受けず」「病人に手を置けば治る」。このようなしるしが起こされることにどれほどの意味があるのでしょうか。それは「主の御言葉を信じ続ける」ということです。これらのしるしが教えることは、私たちが人生で足を踏み外す時、迷い出してしまう時に、主は共にいてくださり、守っていてくださるということです。信じた者は、神の御手によって掴まえられおり、私たちが逃げ出そうとしても、神様は、その手をつかんでくださっているのです。
4: 出かけていく
すでに主の御許に召された方々が、伝え続けた福音。イエス・キリストの十字架と復活という出来事を語る言葉。その信仰によって、この教会は打ち立てられてきたのです。わたしたちも主の福音を宣べ伝えるためにここに集められています。
神の御言葉を聞いて、信じ、そして宣べ伝えることによって教会はイエス・キリストの体としてあるのです。私たちは、今、主イエスの御言葉にもう一度耳を傾けましょう。その喜び、恵みの出来事を宣べ伝える者として生きていきましょう。
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