1.ぶどう園の中のいちじく
なぜいちじくの木をぶどう園に植えるのでしょうか。実は新約聖書の書かれたこの当時、ぶどう園にいちじくやその他のいろいろな果物の木を植えることは普通のことでした。ぶどう園であっても、その中に色々な果物の木が植えてられており、それぞれの役割を果たしているということから、私たちも、共同体の中で一人ひとりが特別に神から愛された独特の存在であることを喜びあうことができます。
2.三年間の期待
三年たってもこのいちじくの木は実を実らせていませんでした。そこで主人は園丁に「切り倒せ」と命じます。園丁は主人に「御主人様、今年もこのままにしておいてください。周りを掘って、肥しをやってみます。」といいます。周りを掘って、肥しをやるこの方法も、当時の果物の標準的な育て方でした。この“何も特別ではないことを続けていく”というところが肝心です。周りを掘って肥しをやる、私たちにとって肥しとは、生きた神のみ言葉、聖書の御言葉です。私たちは聖書の御言葉でいつも私たち自身を養っているでしょうか。
3.立ち返りのチャンス
イエス様がこの譬えを人々に語った時、神から与えられた悔い改めの猶予の時がどれほど大きな恵みであるかを、熱心に語られたことが分かります。悔い改めのチャンスがいかに尊いものか、イエス様が必死に人々に呼びかけている姿が想像できます。今こそ神に立ち返るべき時である!というのです。
4.信仰の実を結ぶ
この恵みを前にして、私たちは神につながり、豊かな信仰の果実を実らせるようにと決意を新たにさせられます。イエス・キリストが十字架上での死という途方もない代償を払ってくださったからです。神から断絶される、まさに“切り倒される”痛みを神であるイエス様ご自身が負ってくださったからです。
私たちには聖書の御言葉が与えられています。園丁(イエス様)が言われた、“周りを掘って肥しをやってみます”。今、御言葉という栄養豊かな肥しが私たちには与えられています。信仰者は聖書の御言葉に繋がって、御言葉によって養われて生きるならば、豊かな実を結ぶのです。(酒井朋宏)
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