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2016.11.13 「わたしがあなたと共にいる」 (全文) エレミヤ書1:4-8

1:  生まれる前から

 神様は、すべての人間を愛してくださっています。神様はそのことを「共にいる」という言葉で表しています。イエス様が生まれるときに天使が父ヨセフに語った言葉に、このような言葉があります。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイ1:23)イエス・キリストがこの世に来られた時、その名はインマヌエル「神は我々と共におられる」と教えられました。神様は、私たちを愛するために、イエス・キリストをこの世に送り、そしてそれは「主が共におられる」ことを表したのです。 

 今日は幼児祝福礼拝ですが、神様による祝福とは、「主が共におられる」「神様が一緒にいてくださる」ということです。聖書は別の箇所では「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマ12:15)と教えます。この言葉の中心には、「わたしがあなたと共にいる」という言葉、喜びの時にも、悲しみの時にも、共にいてくださる神様、イエス・キリストがいる、「だからあなたも、喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」とを教えているのです。

 

 今日の聖書はエレミヤ書という聖書箇所です。神様はエレミヤに対し、「わたしはあなたを母の胎内に造る前から、あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた。」(1:5)と、このように語られます。

 

 幼稚園では、子どもたちの生まれたことを喜び、誕生会を行っています。この誕生会は保護者の皆さんに来ていただき、手伝っていただいて行っています。皆さんの協力を心から感謝いたします。

 誕生会では、親から子どもへの一言をお願いしていますが、保護者の方が、わが子に語りかける言葉には、「これまで育ててきたことを考えると、大変だった時もあった、それでも本当によく育ってくれた」「大好きだよ」という、素直な喜びと感謝の言葉があります。その言葉にいつも感動しています。

 また、この誕生会ではこのような歌詞の賛美歌を歌います。「生まれる前から神様に、守られてきた友だちの誕生日です。おめでとう。生まれて今日までみんなから、愛されてきた友だちの誕生日です。おめでとう。」とても深い意味をもつ誕生日の歌です。神様は、すべての人間を、生まれる前から守ってくださっている。私たち一人ひとり、すべての者の命は、神様によって造られ、神様が守ってくださっているのです。今日、神様がエレミヤに語った言葉は、まさに同じように「わたしはあなたを母の胎内に造る前から、あなたを知っていた。」と語られるのです。

 

2:  あなたを知っている

 神様は、私たちのことを生まれる前から知っていてくださるのです。「知る」ということは、関係を持っているということです。私たちが隣の人のことを知るためには、隣の人と関わらないと知ることはできないでしょう。ときどき、近寄りがたく、話をする前は関わりにくかったという人が、実は、話をしてみれば、とても自分と気があう人だったということもあります。

 

 わたしは、学生の頃、「おにぎりの会」というホームレスの方々におにぎりを配ることを手伝っていました。ホームレスの方におにぎりと味噌汁を渡す、それだけのことですが、これがとても難しいのです。一言話しかけ、おにぎりと味噌汁を渡すこと、それだけのことがなかなか緊張するものです。ときには「そんなものはいらない」と言われることもあれば、「馬鹿にしているのか」と言われることもあります。また時には、「ちょっと話を聞いてくれ」と何十分も話をされる方もいます。おにぎりを配ることは、もちろんおにぎりを配ることもそうですが、なによりもその人に関わることが大切なのだと思います。「そんな必要はない」という人にも、「ありがとう」という人にも、その言葉にはそれぞれに意味があるのです。その言葉のうちには、その方の心があるのです。そのが、今、何を必要としているのか考えさせられるのです。「知る」ということは、その人と関わり、関係を持つことです。神様は、私たちのことを知っていてくださいます。神様が私たちを知るということ、それは、私たちに関わり、関係を持ち、共に生きていてくださるのです。

 

3:  若者にすぎない

 今日の聖書において、エレミヤは、神様の言葉に対し。「ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」(6)と答えます。

 「わたしは若者にすぎない。」エレミヤは「若者にすぎないのだから神様のために働くなんてできない」と神様の招きを断りました。この時のエレミヤは18~23才くらいであっただろうと言われますので、確かにイスラエルの民に向けて、神様の言葉を語るには、「若い」と感じるのが当然かもしれません。

 しかし、もしエレミヤが30代~40代であれば、「今は子育てや仕事で忙しい」と断り、60代、70代になれば、「もう年ですので」と断るのではないでしょうか。もうちょっと力をつけてから、あれができるようになって、これができるようになってから・・・と。「~にすぎない」。そこには、自分はもっとできる者にならなければならないという思いがあるのです。

 私たちのもつ苦しい思いの一つは、そのままの自分を受け入れられないということではないでしょうか。いわゆるコンプレックスです。今の自分をそのままでは、認められない。「自分はこのような者でしかない」。「こんなことはできない」。「こんな自分は好きではない」と、自己肯定することができないことは、とても苦しいことはないのではないでしょうか。

 

4:  わたしがあなたを愛している

 今日の箇所では「わたしは若者にすぎない」と言うエレミヤに、神様はこのように答えるのです。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ、遣わそうとも、行って、わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」

 神様は私たちを愛しています。こんな自分を・・・これほどしかできない、自分のことを好きになれない、自分が何か足りないと思っている者。神様はそのような者を心から、素敵な存在として愛してくださっている。『それでよい』と言ってくださっている。神様は心から私たちを愛してくださっているのです。神様は、「若者にすぎないと言ってはならない。」「あなたが生まれる前から、私はあなたを知り、守り、命を造った。あなたはそのままでよい。わたしがあなたと共にいる」。これが神様による、私たちに語られた祝福の言葉です。神様は私たちに「わたしがあなたと共にいる、あなたを愛している」と言われているのです。

 「神様が私たちを愛している」。これは、私たちが子どもたちと関わるときに覚えておきたい言葉でもあります。わたしたちは、子どもが何かをできるようになるとき、心から嬉しい思いになります。そして、きちんとできないときには、できるようになってほしいと願っていると思います。それは、その子を愛しているからであり、幸せになってほしいからです。本当は、何もできなくても大好きです。だからこそ、いろいろなことをできるようになってほしいし、幸せになってほしいのだと思います。

 ただ、本当は、「なにもできなくても・・・生きていることが素敵である」と、「あなたがいる、その存在が心から嬉しい」と、「それだけでいい」と、「そのままで愛している」と、その思いを、子どもに伝えていきましょう。「愛している」と言葉と行為で伝えたいと思うのです。神様が私たちを愛してくださっているように。私たちもその愛を、子どもたちに、そして隣の人に、広げていきましょう。