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2016.11.16 「いついかなる場合にも対処する秘訣」 フィリピの信徒への手紙4:11-13

「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています」(1112)

 

1. 自分の置かれた境遇に左右され易い私達

 私達は境遇に影響されたり、支配されたりすることがあります。厳しい境遇に入れられると、私達は呟いたり嘆いたりしてしまいます。今まで病気知らずだった人が突然大きな病で入院することになった、安定していた仕事が突然なくなった、幸せであった家庭に大きな問題が起こった……。その時、私達はどうしてよいか分からず、心が動揺し、問題に振り回されてしまいます。逆に、今まで不遇だった人が恵まれてきて、自分を見失ってしまうこともあります。或いは、お金があり、時間があり、何も不自由なく生活出来ているにもかかわらず、心に平安がない人もいます。私達は厳しい環境の中で失敗することもあれば、恵まれた環境の中で失敗することもあります。

 しかし、イエス・キリストの使徒パウロは「わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えた」と言いました。これは彼が迫害を受けて投獄されていた時に語った言葉です。どうすればパウロのように言うことが出来るでしょうか。彼の言葉に耳を傾けてみましょう。

 

2. イエス・キリストが共にいて下さることを知る

 まずパウロは、イエス・キリストがいつも共にいて下さることを知っていました。彼は冒頭の言葉を語る前に「主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」(56)と述べています。

 パウロは、自分が独りではなく、イエス・キリストがいつも共にいて下さることを知っていました。ローマの信徒への手紙835節でも、彼は「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か」と語っています。パウロは、いかなる困難の中にあっても、イエス・キリストが自分と共にいて下さることを堅く信じていました。だから、彼は獄中にあっても心が乱れることなく、平安でいることが出来ました。

 「神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられ」(267)るほどに私達を愛して下さっているイエス・キリストがいつも共にいて下さる。この事実を信じ、感謝することが出来るなら、私達もいかなる境遇にあっても平安の内に守られます。

 

3. イエス・キリストが力を与えて下さることを知る

 また、パウロは冒頭の言葉の後で「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」(13)と言いました。この時、パウロは囚人として牢に繋がれていました。また、ローマ帝国の各地に点在した教会も弱い存在でした。コリントの教会のように、ただでさえ小さな集会なのに、その中に幾つかの派閥が存在し、内輪揉めで混乱していた所もありました。にもかかわらず、パウロが「わたしにはすべてが可能です」と言うことが出来たのは何故でしょうか。自分自身は弱い存在であるけれども、イエス・キリストが私と共におられて、私を強くして下さる。そのことを確信していたからです。

 私達は、困難な状況に置かれると、生き方・考え方が消極的になったり、否定的になったりする傾向があります。しかし、イエス・キリストが共にいて、私達を理解し、励まし、助けて下さることを知るならば、困難な境遇に置かれても、積極的に生きていくことが出来ます。

 

「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える」(イザヤ書4110)

 

4. イエス・キリストによって主なる神が必要を満たして下さることを知る

 更に、パウロは「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます」(19)と述べています。パウロは、自分の置かれている環境や境遇が変わっても、主なる神が今まで自分の必要を全て満たして下さったことを知っていました。それ故、獄中にあっても思い煩うことがありませんでした。

 そして、パウロは、主なる神が何にも優る祝福を与えて下さったことを決して忘れませんでした。ローマの信徒への手紙832節で、彼は「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」と語っています。主なる神は最愛の御子であられるイエス・キリストをさえ私達に与えて下さいました。そして、私達を救うためにイエス・キリストを死に渡されました。御子イエス・キリストをさえ私達に惜しまず与えて下さるのに、他の必要なものを私達に与えないということがあるでしょうか。

 そればかりか、イエス・キリストの内にあるならば、病気や試練、困難といった私達にとって嬉しくない事柄さえ、主なる神が私達に「必要なもの」として与えて下さったと受けとめることが出来ます。そして、それらが最終的には私達にとって祝福となるということを信じることが出来ます。

 

5. いついかなる場合にも対処する秘訣

 イエス・キリストが私達と共にいて下さる。イエス・キリストが私達を力づけて下さる。イエス・キリストによって主なる神が必要なものを与えて下さる。それ故、パウロは、どのような境遇になっても平安を失うことがありませんでした。

 私達もイエス・キリストを信じ、イエス・キリストの内に留まり続けるならば、自分の置かれている状況が良くなっても悪くなっても、自分の持ち物が多くなっても少なくなっても、イエス・キリストに感謝する人生を送ることが出来ます。(柏本 隆宏)