1.神の定めた時(カイロス)
ギリシア語“クロノス”とは、線的に、過去から現在、そして未来へと流れる時間、量的に計ることが可能な時間です。(なぜ年齢を重ねると時間が経つのが早く感じられるのか?自身の年齢と現在の時が比較されるから、と言われます)
クロノスの意味で人に与えられる時間は人によって違います。しかし、神が定めた時(カイロス)の中にあっては、人が定められた期間、与えられた場所で生きて存在しているという事実の背後には神のご配慮があります。
2.イエス様は誰か~社会的権威への恐れ
「群衆の間では、イエスのことがいろいろとささやかれていた」(12節)=ギリシア語直訳「すると彼に関するつぶやき(不満)が多くあった、その群衆の中に」。この「ささやき(つぶやき)」を意味するゴンギュスモス(名詞)の動詞はゴンギュゾー“ぶつぶつ言う”です。
イエス様は“良い人だ”、“いや、群衆を惑わしている”、イエス様に関する色々な評判が人々の間にありました。今もイエス・キリストに対しての私たちによる評判(?)には様々なものがあります。私たちはイエス様を誰であると告白するでしょうか。
13節での“ユダヤ人たち”とは当時の社会的な権威です。この世の権威を恐れて公然と語ることができない、ここには、今の私たちにも通じる人間の弱さがあらわれています。私たちには伝道することへの恐れがないでしょうか。この恐れの感情を乗り越えて伝道できる、公然と信仰を表して伝道することのできる勇気と力は、ただ主に依り頼むことによって、主に祈り求めることによって、与えられる他にはありません。
3.彼を遣わされた方、すなわち神から出ている教え
イエス様のみ言葉が真実神の言葉であるかどうかが分かるのは、私たちが神の御心を行おうとする意志に基づいているというのです。私たちがそのように意志を持つことも、実は神がそのような思いを私たちに与えてくださっていることが、イエス様の前にへりくだる時、私たちには示されます。
4.モーセの律法
なぜモーセ(最初はアブラハム)に割礼の命令が与えられたのか、その規定の本質は何なのか、ということを全く考えなくなってしまい、形式的なことにのみとらわれてしまっているユダヤ人たちの非をイエス様は指摘しました。
“人の子は安息日の主でもある”(マルコ2:28)とイエス様は言われます。人の解釈が神の愛を超える、人が定めた決まりがイエス様の愛より優先されることはあり得ないということです。
5.正しい裁きとは(24節)
うわべで裁くのではなく正しい裁きをしなさいという主イエスの教えは、最も大切なことを見据えた上で裁きをするようにと私たちを戒めつつ、本当に真実公正な裁きは神でしかなし得ないことだということを私たちに教えます。人間として神の前に、人間の知恵の限界、人間の限界を謙虚に認めることの大切さが言われています。(酒井朋宏)
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