1 ファラオの不完全さ
ファラオは無力な赤ちゃんをナイル川に放り込めと命令しました。ここに人間の限界を見ることができるのです。ファラオは「女の子は皆、生かしておけ」と命令をしました。この箇所の前にはイスラエルの二人の助産婦により、そしてここでは、モーセの母と姉、そしてエジプトの王女という、5人の女性。その女性たちによって赤ちゃんの命が救い出されていくのです。
2 弱い者を用いられる方
神様は女性を用いられました。社会的に立場の弱い者を用いられたのです。このことによって強き者、力ある者は辱められるのです。弱さは、何かにより頼むことの必要性を教えます。一人では生きていけないこと。自分の力の限界を知るのです。弱さは、自分の力で生きることではなく、神様に頼むことを教えます。
3 神様を知らない者の働き
エジプトの王女は、神様を知らないだろうと考えられます。神様は自らを信じていない者、知らない者をも用いられるのです。ここに神様の主権性を見ることができるのです。神様を知っていると思っている者にとっては、自分中心の信仰を打ち砕かれる出来事でもあります。まず神様が先に私たちを知ってくださっているという信仰に立ち返りたいと思います。
また、王女は一つの命が捨てられることをふびんに思ったのです。王女の、「命が捨てられることはかわいそうだ」と思った小さなやさしさが、命の神様に対する応答とされていったのです。ここに神様の主権性と、また人間の応答という関係性を見ることができるのです。
4 混沌からの救い 「籠」
モーセが救い出される出来事は、無力な人間が「川」という「水」の中、いわゆる「混沌(カオス)」の中から救い出されることを象徴的に教えています。モーセが籠に入れられて川に置かれることから、神様は無力な私たちを籠に入れてくださっていることを教えます。神様は命を守る「籠」によって包んでくださっているのです。
5 見えない神の働き
王女は「混沌」からモーセを引き上げました。今日の箇所では、実際に神様が出てきて何か働かれている姿はないのです。神様は見ることはできません。しかし、今日の箇所から見る神様の姿は、見えないからこそ人間を超えた力、その主権性を見ることができるのです。神様は立場の弱い者を用いて、神様を知らない者をも用いて、命を救い出される、引きあげてくださるのです。ここに神様の存在があるのです。
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