1: 患難は絶望を
聖書は「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生みだす」(3-4)と教えます。この言葉に対して宗教改革者ルターは「患難から希望に至る階段は、地上的に自明の事柄ではないのである。すなわち患難は焦燥を生み出し、焦燥は、強情を生み出し、強情は絶望を生みだす。」と言いました。
「苦難は忍耐を・・・希望を生み出す」ということは、弱さを持つ私たち人間にとって、当たり前のことではないのです。聖書は困難には「立ち向かいなさい!」とだけ言っているのではなく、むしろ「休ませてあげよう」と「共に泣き、共に困難の中を生きていこう」とも言っているのです。
2: 受け入れがたい出来事
わたしが大学生の頃、友人の家族のが事故によって亡くなりました。事故による死という出来事に。このような突然の出来事を受け取ることは、とても難しいものです。突然の困難のその先に希望が待っているとは思うことはできませんでした。
3: わたしがあなたの痛みを担おう
イエス・キリストは「あなたは一人ではない。私があなたの痛みを担おう。あなたは、ここから一人で立ち上がるのではなく、私が共に生きていく」と言ってくださっているのです。主は「なぜだろう」と思う私たちに、その理由を教えて納得させられるのではなく、一緒に痛み、苦しんでくださるのです。これが、神様が私たちに与えてくださった愛であり、希望です。
4: 新しい一歩を踏み出す
神様は私たちを愛されているのです。私たちはこの愛につながりましょう。イエス・キリストは、私たちのために、祈り続けてくださっています。私たちが困難の中で苦しみ生きる時に、イエス・キリストの十字架の苦しみは続いているのです。イエス・キリストは血を流されながら祈り続けているのです。私たちは、このイエス・キリストの祈りの中で生きるのです。私たちの希望は、イエス・キリストの十字架と復活に基づくものです。この希望が失望に終わることはないのです。
これから新しい1年を歩き始めます。主イエス・キリストが共にいて、祈っていてくださっているということを覚えて、一歩一歩、神様に向かって確実に進んでいきたいと思います。(笠井元)
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