1: 先駆者ヨハネの登場
ヨハネは「悔い改めよ。天の国は近づいた」と教えました。ヨハネは水によるバプテスマ「罪の悔い改め」の行為を行ったのです。バプテスマによる悔い改めは、生き方全体を変えることなのです。人間が自分の思いや行いで自分を清めるという、自分を主体とした生き方から、神様の愛と赦しを人生の中心にいただくのです。神様が主体となった生き方に変えていくこと、そのための悔い改めなのです。
2: さまよっている者
ヨハネは荒野に現れました。この荒野とは、聖書では様々な意味を表します。「さまようところ」、「乾ききった場所」、そして「孤独」の象徴としての場所です。荒野にいることは心が渇ききった心であることを表します。
私たちが生きている場所。それは分かっているようでわかっていない。明確なようでとても不明確なものです。わたしたちはさまよい歩いているのです。そして心は渇ききっている。これが現実のわたしたちの生きている場所なのです。
3: 荒野からの道
バプテスマのヨハネは荒野において悔い改めを叫びました。それは「自分がどれほど弱っていて、心は渇ききっていることに気がつきなさい」「自分の弱さを認め、目を向けなさい」と叫んでいるのでもあります。そしてこの叫びこそが、新しい道への招き、歩く道の方向転換を勧める言葉となるのです。バプテスマのヨハネは荒野に現れました。しかし、荒野が終点ではないのです。神様は荒野から希望へ向かうことを指し示しているのです。
4: 悔い改めよ! イエス・キリストを受け入れよ!
バプテスマのヨハネは、悔い改めの道を指し示しました。そしてイエス・キリストは、悔い改めの道を作られたのです。自らを投げ捨てて、すべての人間の救いの道を造られたのです。私たちがどれほど悔い改めても得ることのできない心の安らぎ、渇ききった心に、愛を注いでくださったのです。悔い改めることは渇ききった心に注がれている愛をいただくことです。神様はさまよい歩く私たちに希望の光を示してくださったのです。私たちは、このイエス・キリストを心に受け入れましょう。そして渇ききった心に来てくださる主と共に歩き出しましょう。
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