1: 捕えられたヨハネ
福音の道を整える者バプテスマのヨハネが捕えられたのです。ヨハネが捕えられた理由は、権力者ヘロデ・アンティパスの自分勝手な理由によるものでした。ヨハネは権力者のどこまでも自分勝手な行為によって捕えられ、殺されていったのでした。声の大きい者が弱い者を傷つける。これはどの社会でも、会社でも学校でもママ友の中でも、そして教会でもです。バプテスマのヨハネは捕えられ、そして殺されていきます。聖書は、ここから何を教えているのでしょうか。
2: ガリラヤへ行かれた
イエス様が退かれたガリラヤは、15節に「異邦人のガリラヤ」とあるように、異邦人の地であるという認識の場所でした。イエス様の福音伝道は、ガリラヤから始まり全世界へと続いていくのです。また「異邦人の地」とは、だれも目を向けないところ、人々から見捨てられたところです。イエス様は小さき者、だれも目を向けないところ、罪びとや病人に目を向けられたのです。
3: 小さいところに来られる方
イエス様は「異邦人の地」に来られました。イエス様は「共に生きる者」となってくださったのです。私たちは苦しみの中にあっても、イエス・キリストが共にいてくださるということにおいて希望をみることができるでしょう。
だれでも少しは自分の嫌いなところはあるのではないでしょうか。コンプレックスから劣等感を感じるようになり、いつのまにか自分のすべてを否定してしまうことがあるかもしれません。イエス様は、私たちの弱さも、すべてを含めて愛しておられるのです。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅱコリント12:9
イエス様は「わたしはあなたを愛している」と語りかけてくださるのです。
4: 悔い改めよ
イエス様は「悔い改めよ。天の国は近づいた」(17)と叫びました。悔い改めることは「方向転換」を意味します。自分の強さを増やすことで自分を愛そうとする道から、自分の弱さや惨めに見えるところも含めて、神様に愛されているという道を歩きはじめることでしょう。イエス様は「異邦人のガリラヤ」へ行かれました。私たちは、主の愛を受けて悔い改めるとき、何ができるのか、どのように歩いていくことができるのか考えていきましょう。 (笠井元)
コメントをお書きください