1: モーセの再召命
今日の箇所は、モーセの問いかけに対する神様の答えであり、またモーセとアロンに不信感をもったイスラエルの民に対する神様の言葉でもありました。
神様は3章のモーセの召命のときに「彼ら(イスラエル)はあなたの言葉に従うであろう」と言い、また同時に「ファラオは強い手を用いなければ行かせない。わたしがあらゆる驚くべき業をエジプトで行い、これを打つ。そうしなければファラオは立ち去らせないだろう」と教えているのです。ファラオとの交渉は失敗に終わります。これはある意味では神様の御言葉通りなのです。神様からすれば神様の言葉を忘れてしまったモーセの姿なのですが、そのようなモーセに対して、もう一度確かな招きが与えられているのです。
2: 不信感の解消
同時にこの神様の再召命の言葉は、モーセとアロンに対して不信感を抱いたイスラエルの民たちに、この二人が神様から召しだされているということを、もう一度認識させる意味があるのです。イスラエルの民からすれば、この二人のせいで、余計に苦しい状態になったのです。出エジプト記を読む者に対しても、この失敗は二人への不信感を抱かせるものとなるのです。再召命は二人の立場をもう一度理解させる意味としてもあるのです。
3: わたしはあなたの神となる
「わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。」(7)神様は「わたし」と「あなた」というはっきりとした関係のうちにあることを教えるのです。
「顔と顔を合わせる」という表現は聖書においていくつか記されています。(創世記32:31、出エジプト記 33:11、申命記34:10-12、Ⅰコリント13:12-13)わたしたちが神様を知ることは「顔と顔」を合わせる関係を知ることなのです。
4: 失われた意欲
民は「意欲を失っていた」(9)のです。人間はその生活の状況によって、神様の言葉を聞くことに影響を受けるのです。自分の思い通りに生活ができないときには、聞く耳は閉ざされていくのです。覚えておきたいのは、自分の生きている状況も、またこれからの未来も、神様が造りだすということです。
5: 神は民を見捨てない
最後に、この場面は再召命と共に、モーセとアロンを再派遣する場面でもあります。それは神様が、イスラエルを見捨てることはないということです。神様は何度もモーセとアロンを派遣します。それはイスラエルがどれほど不信仰であっても、またモーセの信仰が打ちのめされていようとも、神様はイスラエルを見捨てないのです。(笠井元)
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