1: 日々の生活の中での応答
今日の箇所では、なんでこの4人がイエス様に従ったのか、その理由は記されていないのです。イエス様に「わたしについてきなさい」と招かれた。そしてそのイエス様に従ったのです。
ペトロとアンデレは海に網を打っていました。毎日、家からこの場に来て、この場で漁をして、家へと帰る。二人はそんな日々を過ごしていたのだと思います。この普段と何も変わることのない生活の中に、突然イエス様が来られたのです。
イエス様の呼び出しは、私たちの日常においても向けられている招きです。私たちがこのイエス様に応答するために、何が必要なのでしょうか。ペトロとアンデレの姿から学ぶのは、決断です。信仰には決断が必要なのです。
2: 海辺のほとりで
今日のこの舞台を口語訳では「ガリラヤの海辺」とします。「海」というのは、当時の世界感では悪魔的、虚無的なものを表す言葉でした。ここで「海」にいた者が招かれたのです。特に何の変化もない日常生活を送っていた漁師たちです。イエス様はその中にある人間の心の寂しさ、虚しさ、を見つめられ、受け止められたのではないでしょうか。
聖書は「自分のように隣人を愛しなさい」と教えています。しかし、現実は「自分のためだけ」を考える社会があるのです。
3: わたしについてきなさい
イエス様は「わたしについて来なさい。」(19)と言われました。イエス様の招きに応答しながらも、日常の生活は何も変わらないとき、そこに本当の応答があるのか考えさせられるのです。
わたしたちはこのイエス様の招きに応える決断をすることができるでしょうか。私たちが神様の断る理由はいくらでもあるのでしょう。イエス様の招きに応え、決断するときは「今」なのです。
4: 恐怖を越えて
イエス様は「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(19)と語られました。イエス・キリストは、私たちの心の虚しさや恐れに目を向けられて招いてくださっているのです。その招きは「わたしについてきなさい」という招き、そして「人間をとる漁師にしよう」という派遣です。自分が一番という社会に、「そうではない、貧しい者、弱い者、心に傷を負っている者、苦しみの中に生きている者に目を向けましょう」と声をあげ、叫び続けていきましょう。(笠井元)
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