1: 奇跡を行ってみよ
アロンが杖を蛇にしました。それに対してエジプトの魔術師も同じように杖を蛇にしました。しかしエジプトの人たちによって杖から蛇とされた蛇は、すべて、アロンの蛇にのみ込まれたのです。
9節でファラオは「奇跡を行ってみよ」と求めると言われています。「奇跡を行ってみよ」という言葉は、イエス様に対する悪魔の誘惑の言葉を思い出させるのです。マタイで「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」(4:3)・・・(4:6、9)と悪魔は誘惑します。
「奇跡を行ってみよ」。ファラオはこの奇跡を見ても神様を信じないのです。むしろもっと頑なになっていったのでした。私たちは何を奇跡と見るのでしょうか。人間の価値観を越える出来事を奇跡と考えていないでしょうか。「今、生きている」ことも、奇跡と見ることができるのです。奇跡は神様の真理が表されている出来事なのです。(Ⅱテサロニケ2:9-10)
2: エジプトの魔術師
ファラオの頑なな心を打ち砕くために、これから10の災いが起こされていきます。1:血の災い 2:蛙による災い 3:ぶよの災い 4:あぶの災い 5:疫病の災い 6:はれものの災い 7:雹の災い 8:いなごの災い 9:暗闇の災い 10:最後の災い
今日の杖を蛇とするという奇跡を入れると11つの奇跡です。この中でも、今日の箇所と、血の災い、蛙による災い、ぶよの災い、はれものの災いの文書において、エジプトの魔術師が登場します。この箇所は11の奇跡のなかでも同じ資料(P資料:祭司文書)であると考えられています。この資料では、エジプトの魔術師が、だんだんと神様の業に討ち果たされていく姿を見ることができるのです。
3: カオスに打ち勝つ神の力
アロンの杖が蛇とされ、その蛇は、ファラオが命じてなされた蛇たちを飲み込んでいくのです。ここでの「蛇」という言葉は、「水」に関係する言葉である場合は「竜」と読み取る言葉でそれは「混沌」を象徴する言葉です。「エジプトの魔術師」が登場しますが、この存在に表されているように、人間が神様に抵抗すること、神様の創られた世界に反抗することを「混沌」と見ることができるのです。
アロンの杖の蛇がエジプトの蛇を飲み込むように、人間の作りだしている「混沌」を、神様の力が飲み込むのです。神様は、人間が作りだしている自分勝手な世界を、神様の創造された秩序によって飲み込まれるのです。
4: イエスの勝利
神様が「カオス」を飲み込まれた最大の出来事はイエス・キリストの十字架と復活によるのです。神様は世界に新しい秩序を創造されたのです。十字架は、私たち人間がもつ価値観を飲み込んだのです。神様は死をもって、人間に新しく生きる価値観を与えてくださったのです。(笠井元)
コメントをお書きください