1: 4つの幸いの説明
4つの幸いについて説明をしたいと思います。柔和という言葉は、3節に出てきました「貧しい」という言葉と実質的に同じ言葉と考えられています。「柔和な人々」は「貧しい人」、そして「主に望みをおく人」です。また、義なる方はイエス・キリストのみであり、私たちはこのイエス・キリストを通して義とされるのです。
マタイによる福音書では9章と12章において「私が求めるのは憐れみであって、いけにえではない」と教えます。「憐れみ」は「神を知ること」です。最大の憐れみとは、神である方が人間としてこの世界にこられ、人間と同じ苦しみを受けられたという出来事です。心が清いということは、神様に従うという心だけの者、濁りない信仰を持つものを指しているのです。それはイエス・キリストだけがなされた姿を指し示しているのです。
2: 欠点のある者
ここまで見てきましたように、完全に「柔和な人」、完全に「義に飢え渇く人」、完全に「憐れみ深い人」そして、隅から隅まで「心の清い人」は、この世にはいないのです。人間には欠点、弱さがあるのです。それが人間です。だれも完全な者はいないのです。そのような意味で、弱さは人間の共通点ということができるのです。弱さや欠点は、誰もが持っている。だから私たちは、落ち込むこともなければ、他者のその欠点を見下すこともできないのです。弱さは、私たちがお互いを理解するための大切なものなのです。
3: キリストによる憐れみ
神様はそのような人間をの弱さのすべてを理解し、受け入れてくださったのです。イエス・キリストご自身が、この世に来て、完全に「柔和な人」、完全に「義に飢え渇く人」、完全に「憐れみ深い人」そして、隅から隅まで「心の清い人」と、なってくださったのです。神様はイエス・キリストを通して人間を愛されたのです。私たちは、神様の憐れみを受け取る準備ができているでしょうか。自分の弱さを認める勇気を持つことができているでしょうか。
4: 御国が来ますように
わたしたちは、主の憐れみを求めましょう。主の祈りにおいて、「御国を来らせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈ります。「憐れみを受ける」「神を見る」ということ、それは希望をもって、「御国を来らせたまえ」と祈ることにつながっているのです。
この世に、神様の愛が広がっていきますように。この社会において、弱さを持つ者が神の栄光を表す者となりますように。私たちが自分の欠点を通して、神様の憐れみを受け入れることができますようにと祈りましょう。(笠井元)