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2017.6.4 「新しく創造される教会」 (全文) 使徒言行録2:1-13

 今日はペンテコステです。ペンテコステを共に祝いましょう。ペンテコステは、イエス様の与えられた聖霊がこの世に降ってきて、私たち人間一人一人のところにきてくださった、そのことを覚え、祝う時です。

 

1:  聖霊の働き

 まず、聖霊について少し説明をしていきたいと思います。聖書において「霊」は、さまざまな場所で、さまざまな働きをし、その意味を教えています。そのすべてを今日の、この時に理解することは難しいのかもしれません。そのために、今日は、有名な二つの意味を理解したいと思います。

 一つ目は、福音書でも聖霊の働きの内容について特に細かく記されている、ヨハネの福音書での意味をまず理解したいと思います。ヨハネによる福音書では、聖霊の働きの意味を、「罪の赦し」「つなぎを解くこと」「解放」として教えています。聖霊の働きは「解放」である。この聖霊の働きについてはヨハネの独立した考えではなく、聖書のさまざまな箇所に記されています。その中でも特に、ヨハネでまとめて説明しているのです。 真理の霊が私たちのところに来てくださり、私たちを導き、解放と赦しの道に歩ませて下さるのです。

 

 二つ目ですが・・・今日の箇所、使徒言行録の意味する聖霊の働きは、ヨハネとは少し違うのです。使徒言行録を記での、聖霊の働きとしては「証言する力を与える」という働きを教えているのです。ルカによる福音書も含めて、使徒言行録、今日の箇所での聖霊の働きは、イエス・キリストの救いを力強く語り、証する働きとされる。そのように聖霊の働きを教えているのです。今回、私たちが教えられている聖霊の働き、特に、使徒言行録においては、教会において、イエス・キリストを語る力が与えられる、そのように聖霊の働きを教えているのです。

 

2:  教会の存在意義

 使徒言行録2章、今日の箇所において聖霊がくだります。聖霊は何のために、何が必要とされ、何が起こされたのでしょうか。その一番の答えとして、教会が造られたと答えることができるのです。神様はこのペンテコステの時に、教会を創造されました。それは教会の存在の意味を確実にされるために、神様が聖霊を送られたと言うことができるのです。神様は人間を創造されたとき、そこに息を吹きかけられ、霊を送られて人間を創造されました。そして教会も同様に、まさに、霊を風のような音と、炎のような舌によって創造されたのです。それが教会です。そして、この教会こそがイエス・キリストの福音を語るのです。教会は主イエス・キリストを証するために創造されたのです。

 

 主イエス・キリストを証する教会は、主イエス・キリストを頭として創造されました。皆さんは「教会の絵を描いてください」と言われて、どのような絵を描くでしょうか。この東福岡教会の会堂は、とても素敵な建物だと思います。この会堂こそが教会だと言っても、それも良いかもしれません。ただ、教会は本質的には、建物ではなく、人間一人ひとりによるものなのです。なにをもって教会とするのか。

 それは私たち一人一人がキリストの体としての教会なのです。私たちが、イエス・キリストを証しする教会なのです。そして、それは今年度の標語に「キリストによって結び合わされて」とありますように、わたしたちはキリスト、その霊によってお互いに補い合い、組み合わされてキリストを証するのです。教会は、主イエス・キリストを頭とした信仰共同体です。

 聖霊が注がれるとき、ペンテコステの時に、教会が創造されました。この時、弟子たちは一つとなり集まっていました。教会は、今日の箇所にありますように、まず「一つとなる」必要があるのです。共に困難を突破するために、新しい命に生きるために一つとなり祈るのです。イエス・キリストの祈りを中心に、一つとなる。そして聖霊に満たされて「一つ」とされて、神様の愛を表すのが、教会の使命なのです。

 

3:  言葉の賜物 「語ること」「聞くこと」

 わたしたちは「一つ」となって、聖霊を待ち望みます。そこに、今日の箇所では「突然」の出来事として何かが起こります。

 使徒言行録2:2-3

 「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」

 

 一体何が起こったのでしょうか。「激しい風のような音」。「激しい」「風」が吹き「激しい」「音」が鳴り響く出来事が起こされたのです。そして「炎のような舌が別れ別れに現れた」。それは「突然」の出来事、「突然」の見えない出来事の到来なのです。そこに、私たちの理解を超えた聖霊の注ぎを表しているのです。それは、「新しい命」「変革」「命の創造の時」という、私たちが見たことのない、しかも「突然」嵐のように、福音として教会を新しく造りだす聖霊の注ぎが与えられることを意味しています。ペンテコステの時。それは、「新しい命の創造」の時なのです。

 ペンテコステの時。それは「炎のような舌が別れ別れに現れた」とあるように、また、このあと、弟子たちが様々な言葉で話しだしたことからも、明らかに言葉についての出来事が起こったのでしょう。このときの出来事として、「語ること」だけに注目してしまうことがあります。しかし、ここでは「語る」ということだけではなく「聞く」ことも記されているのです。聖霊の注ぎによる賜物は、明らかに言葉の賜物でした。教会に、言葉の賜物、証する力が与えられたのです。イエス・キリストを主と告白する、証する力です。

 ただそれは、みんながみんな同じことを言ったのではなかったのです。キリストを主と告白するとき、それは、様々な言葉で語られました。人間には違いがあることを前面に表し、その違いのある言葉、違いのある価値観を分かち合うために、「語り」また「聞く」ことが示されているのです。

 そして、それこそ主イエス・キリストの姿勢でした。主イエス・キリストは、罪を背負い、苦しみと痛みの中で迷い、歩いている私たちを見捨てることなく、理解し受け止めてくださったのです。そのために、神様からすれば理解できないほどの、私たちの言葉を聞き、そして御言葉によって、私たちに生きる道を語り続けてくださっているのです。神様は、私たちに語りかけ、聞いてくださっているのです。

 

 ペンテコステの時には言葉の出来事が起こったのです。私たちは、「語り」「聞く」のです。神様はその御言葉によって語りかけてくださっているのです。私たちは、この神様の御言葉を聞くのです。御言葉を聞き、御言葉とのかかわりによって、新しくされ、そこから神様の愛を語る者とされるのです。ペンテコステの時、「聖霊のあらし」が起こり、教会は主イエスを告白する者として、新しく造られるのです。

 聖霊の注ぎは、ある意味、熱狂的な宗教の動きとなるともいうことができます。わたしたちが信仰をいただくということは情熱をもって、主を告白する者とされるということでもあるのです。しかし、当時のユダヤの人々、五旬節で集まっていたユダヤ人々は、この働きを、「神の偉大な業」と言って信じた人々もいましたが、ほとんどは「驚き、怪しんで、とまどい、『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言ってあざける」のでした。これがこの世の社会です。当時の離散したユダヤ人の人々は高度の洗練された教養を持っていたと言われています。それはある意味、今の日本も同様に見ることができるかもしれません。科学の発展という意味では高度の文化を持つということはできるでしょう。そこでは科学の発展により、合理主義が認められ、熱狂主義、宗教的な熱情、不合理的なものが受け入れられないのです。

 聖霊とは、そのような人間の思い、合理主義を突破する力をもつのです。聖霊は、私たち教会を新しく創造して、イエス・キリストを証する者と変えてくださるのです。しかしまた、だからこそ、間違えてはならないのは・・・私たちは、聖霊からの力を受けたことによって、常軌を逸脱する必要はないということです。超個人主義という現代において、聖霊と自分、神様と自分という関係だけに閉じ籠ってしまうとき、私たちは常軌を逸脱してしまうことが起こりやすくなるのです。そこでは、イエス様を証するのではなく、自分の力やただ意味不明な、人間にとって理解のできない出来事を「聖霊の力」と勘違いしてしまうことがあるのです。聖霊が注がれることは、あくまでも、他者との関わりのうちに「イエスは主である」と告白することです。そして主イエスがそうであったように、聖霊によって、他者と向き合い、共に生きる者となること、この世、この目の前にある社会と共に生きる者と変えられていくことこそが聖霊の導く道なのです。

 

4   教会は新しく創造される

 最後に、教会の新しい創造について、もう一度確認しましょう。使徒言行録2章において、神様は聖霊を送られました。それは、今、イエス・キリストの十字架と復活に出会い、その血潮と痛み、そして復活の喜びを確実に知り、命の創造の時をもう一度与えられるためにです。私たちに与えられたペンテコステの時。この時に、私たちはキリストの愛に出会いましょう。そして復活のキリストに出会いましょう。私たちを新しく変えてくださる道が備えてられていること、教会は日々、新しくされていることを覚えましょう。

 イエス・キリストは十字架で死に、そして新しい命のうちに復活させられました。だからこそ私たち人間一人一人も、そして教会も、どれほどの暗闇の中にあっても・・・キリストが、必ず新しく命を与えてくださること、新しい命の息吹を与えてくださることを信じたいと思います。

 聖霊の注ぎは教会に希望を与えます。教会は希望を語るのです。神様に新しく造り変えられ、命をいただき、希望を語りたいと思うのです。そして、私たちは共に祈りつつ、新しい創造のときを待ちましょう。(笠井元)