1. 蛙に悩まされたファラオ
蛙の災いに比べると血の災いのほうが大きな被害があったのではないでしょうか。しかし、この災いによってファラオは心を動かします。その理由として、この災いはファラオ自身の生活を不快なものとしたからです。ファラオの姿から、私たちは自分に関わることではなければ、それがどれほど大きな問題であっても、その問題を自分自身の事として真剣に向き合うことができない弱さを持つことを教えられるのです。
2. 魔術師による対抗
蛙の災いにおいても、杖が蛇となるしるしや、ナイル川が血となる災いの時と同じように、エジプトの魔術師が秘術を用いて同じことを行いました。エジプトの魔術師は蛙を這い上がらせることができました。しかし、魔術師が神様に対抗するならば、蛙を駆除べきだったでしょう。人間は神様に対抗して生きていると思っていながらも、実は神様の計画の中で、神様に従う道を歩むものとされているのです。
3. 神を知る
ファラオは「蛙を退ける望みの時」を聞かれ「明日」と答えます。「今すぐお願いします」とは言わなかったのです。ファラオは神を信じているのではないのです。それでもファラオの願いをモーセは「あなたの言われるとおりにしましょう」(6)と受け入れるのです。それは6節に「あなたは、我々の神、主のような神がほかにいないことを知るようになります。」(6)とありますように、すべては、「主なる神」を知るためでした。
4. あなたを打つ
神様は「もしあなたが去らせることを拒むならば、わたしはあなたの領土全体に蛙の災いを引き起こす。」(27)と言われました。「引き起こす」という言葉は、原語では「ナーカブ」、「打つ」という意味の言葉です。この言葉は、この後、12:23、27に使用されている言葉です。
この言葉はエジプトのすべての初子が撃たれた時の言葉と同じ意味を持つ、とても強烈で、致命的な打撃を意味する言葉なのです。ここで使用されている「引き起こす」という言葉は、ただ蛙の災いを起こすということではなく、これから起こるであろう、致命的なしるしをイメージさせているのです。
5. 私たちが求めている神
今日の中心テーマは8節の言葉「あなたは、我々の神、主のような神がほかにいないことを知るようになります。」です。ファラオは、神はほかにはいないことを知ったのですが、それでも心を頑なにしていくのです。神様は、私たちに様々な計画をもって呼びかけています。「神がほかにいないことを知るようになります。」(8)この言葉は、わたしたちが、どのような神様を求めているのか考えさせられます。(笠井元)